日月神示の解説

日月神示とアカシックレコード

日月神示の解説

神の帳面

アカシックレコードは世界の記憶が保存されている場所です。膨大な数の記憶はすべて真実で、誰がなにを行ったのか、ということがすべてわかるとされています。日月神示には「神の帳面」という表現が何度も出てきており、これが「アカシックレコード」の事なのだろうと推測されます。

ひふみ神示 第02巻  下つ巻 第三十七帖 (七九) ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、その代り御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。

ひふみ神示 第05巻  地つ巻 第三十五帖 (一七二)
 神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭済(な)しがはじまってゐるのぞ、済(す)ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日(おおみそか)ぞ、みそかは闇ときまってゐるであらうがな。借銭(かり)返すときつらいなれど、返したあとの晴れた気持よいであらうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返して呉れよ

 第19帖 (255)
 神には何も彼もよくわかりて帳面に書きとめてあるから、何処までも、死んでも頑張りて下されよ、其処迄 見届けねば、この方の役目果たせんのざ、可哀さうなれど神の臣民殿、こらえこらえてマコト何処迄も貫きて下されよ

五十黙示録 第07巻 五葉の巻 第六帖 仕事はいくらでもあるではないか、七つの仕事があるぞ、七人のかへミタマあると知らせてあろうがな、高く昇らねば遠くは見えん、目の先ばかり見ているから行きつまるのぢゃ、道には落し穴もあるぞ、心得て、仕事に仕へまつれよ。岩戸はひらかれてゐるのに何してゐるのぞ、光がさしてゐるのに何故背を向けてゐるのぞ、十の仕事して八しか報酬ないことあるぞ、この場合二は神にあづけてあると思へよ、神の帳面あやまりなし、利子がついて返って来るぞ、まことのおかげはおそいと申してあろうがな。

アカシックレコードへのアクセス

アカシックレコードへのアクセスについては他のサイトで詳しく紹介しているのでそちらを参考にしてください。

代表的なのは瞑想です。

私は何十年と瞑想を行ってきましたが、極限まで集中した瞑想中、鮮明な映像を何度も見ています。この映像は自分自身の過去の記憶を見ているのかな・・・と初めは思っていたのですが、どう見ても自分の過去の記憶にはないものばかりで、正直「???」と思っていました。

この映像は、一秒間におよそ4コマほどのスピードで、凄まじい勢いで切り替わっていきます。
その殆どがモノクロでしたが、集中すると映像を止められ、カラーで見れました。

ただこの映像を記憶することはかなり困難で、夢の記憶がほとんど残らないのと同じようなものなのかな?と思っています。
修行を積めば、アカシックレコードへ自在にアクセスできるようになるのかもしれませんね。

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