日月神示と実践法

日月神示 私の身に起きること・起きたこと

日月神示と実践法

幼少期の夢

私は幼少期から頭が悪く、体も弱くなんの取り柄もない人間でした。
UFOやおばけなどオカルト的なものは大好きで、ノストラダムスの予言なんかも信じているような、ちょっとおかしな?子でした。

青年期~社会人

昔から頻繁にいじめられる体質で、社会に出てからもひどいいじめを受け続けました。
その頃は友人もおらず、ただただ人生に絶望し、死ぬことばかり考えていました。

火水伝文との出会い

そのような精神状態ですから、宗教書を色々と読み漁るうちに、「火水伝文」という書に出会い、衝撃を受けます。その後、解説書を入手し、そこにかかれている「日月神示」について興味をもったわけです。

日月神示との出会い

私は19歳の頃に日月神示に出会いました。
当時は日月神示を入手するのは極めて難しく、今のようにアマゾンや楽天ブックなどで気軽に買えるようなものではありませんでした。
私は必死に出版社に頼み込み、1冊分けてもらったのです。
電話で担当の方と話をしていると色々とややこしい事になっており、お分けすることはできませんと言われましたが、そこをなんとか・・・と 頼み込んで、やっと1冊分けて頂きました。
今ネットで調べると、”日月神示(日月神示刊行会)”の1000冊のうち1冊を授かった事になります。

日月神示を音読する日々

日月神示を入手してから、毎日毎日私は日月神示を声が枯れるほど音読しました。
が、残念なことに私は異常に記憶力が悪く、頭にはまるで入っていきませんでした^w^;;;
英単語を100回書いても覚えられないほどなので、どうしようもありません。

通しで10回以上は音読し、それ以降はもう数えるのをやめました。

体の変化

神示を読み始めてから私は一切の四足食を断ちました。
肉食を断った当時は肉類が食べたくて食べたくてしかたなく、よだれを垂らしながら我慢していました。
1週間もすると徐々に落ち着いていき、1ヶ月もするとほとんど肉について欲求を持たなくなってきました。
20年ちかく 肉食をしていたため、腸内細菌が菜食中心に移行する際に無理が生じたのでしょうね。

神示の文字が光りはじめた

私は神示を音読し続けているうちに、神示の文字が光り輝きはじめました。
極度の集中状態からでしょうが、文字が踊り光り輝き、その文字が額に飛び込んでくるような感覚を覚えました。

その光は「痛く」額に刺さり、光が額からお腹に向けて走り、今度はお腹がかきまわされるような、強烈な感覚にのたうち回りました(実際、のたうちまわってました^^;)

この強烈な体験がしばらく続くうちに、私の精神状態は奇妙な高揚感を得られるようになってきました。

慢心が始まった

神示には「慢心と取り違いが一番怖い」とありますが、神示を読み始めて数ヶ月も立つと神示が「わかった」気になってきます。

ダニング=クルーガー効果(知識と思考を深め続け、実践し、挑戦し続ける ...

どのような学問やスポーツでも、学び始めてすこしわかってくると、その知識や経験取るに足らないものにも関わらず、慢心が出てきます。当時の私はまさにこの状態でした、が、私は子供の頃から「成功」経験が全くないので、「いやまてよ・・・俺がそんなに偉いわけがないわな」とその慢心の鼻を自分で折り続けました。

この初期の「慢心」に取り憑かれると、やれ「国常立大神様の声が聞こえる!」とか「神示が聞こえる!俺が神示の続きをおろされたんだ」とか「俺こそ救世主なのだ!」なんて天狗になって、道を外れていきます。せっかく早くから手を引かれているのに残念な結果になっている人たちが多く、悲しくなります。

皆さんも「神示は分からないんだ」ということをわかってください。

仕事上の変化

当時の仕事は割と順風満帆でしたが、神示を読み、会社の玄関を掃除したり、汚れ仕事も積極的に引き受けたり・・・と今までの心を改めて必死に働きました。
それこそ「5人分も10人分も精を出して」仕事をしたわけです。

暫くすると巨大な設備の導入計画に携わることになり、私は出世の道を歩み始めます。

天国から地獄へ

  第七帖 (三七二)  この神の許へ来て信心さへして居たらよい事ある様に思ふてゐるが、大間違ひざぞ。この方の許へ参りて先づ借銭なしに借銭払ひして下されよ。苦しいこと出来て来るのが御神徳ぞ。この方の許へ来て悪くなったと云ふ人民 遠慮いらん、帰りて呉れよ。そんな軽い信心は信心ではないぞ。結構な苦しみがわからん臣民一人も要らんのぞ。

初めのうちは順調にいった設備の導入ですが、計画が進むにつれて暗礁に乗り上げます。
私は担当でしたから、毎日16~20時間勤務をしながら、なんとか設備が正常に動くよう・・・と祈りつつ残業を続けました。

けれどもそんな無理が年単位で続くわけもなく、私は燃え尽きたように倒れてしまいました。

同時期に親友がバイク事故で亡くなったり、親しかった業者のおじさんが目の前で亡くなったり、上司が首を吊ったり・・・と悲惨な出来事が、一気に重なりました。

私は少ない友人も失い、地位も名誉も失い、その後は悲惨なものでした。
それでも私は、頭の片隅に日月神示があり、日月神示の道を杖になんとか踏ん張っていたんですね。

転職後の全国神社参り

そんな悲惨な境遇の中、あのリーマンショックが起き、私は仕事がなくなりました。
これを契機に転職。が、やはり要領の悪い私は境遇に恵まれませんでした。

が、生活は比較的安定したので、私はかねてからやりたかった「全国神社巡り」をはじめました。

第二十五帖 (一〇五)  世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、殊に可愛い子には旅させねばならぬから、どんなことあっても神の子ざから、神疑はぬ様になされよ、神疑ふと気の毒出来るぞ。いよいよとなりたら、どこの国の臣民といふことないぞ

やることは単純で、全国の神社にお参りし、「今までこの国を陰ながらにお守りくださりありがとうございました。これからもどうかこの国をお守りください」とお祈りする旅でした。
そんなことを、8年近く続けていました。

瞑想

私が肉食を断ち、日月神示を読み、朝夕の礼拝をし、瞑想をし・・・といった生活を長く続けていました。

朝夕の瞑想後、私は仰向けになりながら「いつも有難うございます、神様・・・」と祈っていたわけですね。

そんなことを10年ほど続けていたある時、その感謝の心が恐ろしく深くなった時がありました。

意識が深い、深い深淵に落ち込んでいく。


「生かされていることに感謝」
「家族がいることに感謝」
「守護霊様・守護神様・ご先祖霊様に感謝」
「神様に感謝」
「この世の全てに感謝・・・・」

このとき、「自分」というものが全くなくなり、宇宙空間にただ一人浮いているような、不思議な感覚になりました。体中が光り輝いており、不思議な感覚と、幸福感に満たされていました。

次の瞬間、お腹が強烈に締め付けられ、息がほとんど止まったかと思うと、お腹からエネルギーが背・首を通り頭に至り、額から光となって天へと立ち上りました。
このときの感動たるや凄まじく、この世のありとあらゆる快楽を何千倍にもしたような快感と、この世の全てへの感謝の心から、涙が次から次へと溢れ出て止まらなくなりました。

私にとってこの経験は大きく、この「感謝瞑想」が神人合一の状態なのではないか、と思うようになりました。

がこの状態を維持することは並大抵ではなく、一年に数度この状態に到れるかどうか・・・という難しいものでした。

このような瞑想を重ねるうちに、私は迷走中に様々な映像を見ることになりました。
それが、どの場所で、どんな意味のある映像なのか、自分の過去なのか未来なのか、それとも神仕組に関係のあるものなのか、それは全くわかりません。

が、この「感謝瞑想」が極限まで来たときに見えるその映像は、およそ1秒に4コマほどの凄まじい勢いで、頭の中にスライドショーを描いていくのです。
初めはモノクロで、訓練を積んでいくうちにこれがカラーであることがわかってきました。

感謝瞑想の果てに何があるのか

私のこの瞑想の果てに何があるのかは全くわかりません。
私のこの瞑想法が正しいのかもわかりません。そもそも、私は誰かに教えてもらったわけではないので・・・。

ただ言えることは、肉食をし、我よしの道に戻れば、この瞑想からも離れていきます(離れていきました)

神示を捨て、神示の道を捨てた

ただ私はその後、人生があまりにもうまく行かず、一度神示を捨て道を離れています。

「結局ミロクの世なんてこないじゃないか・・・」

35歳と、神示にであってから15年近く経過していた私は、マヤの2012年の予言も外れ、社会人としては成功できず、嫁さんも子供もなく、仕事も成功せず荒れ果てていました。

うつ病・不眠症になり、精神病院に通院し、発達障害の薬と精神安定剤を貪りながら、なんとか仕事にしがみついていました。

そのタイミングで私は完全に神示の道から離れよう、この道は間違っていたんだと確信。神示を捨て、肉食を再開しました。

その後の変化

肉食を再開しましたが、どうも体調が良くない。
元々、精神状態が最悪の状態であった事に加え、頻繁に風邪を引いたり、寝込むようになってしまった。

そうこうするうちに私は、会社に通うのがもう限界・・・というところまで来ました。

そんなときにとある会社に声をかけられ、私は転職しました(何度目だ・・・)

転職先

転職先は山の中でのメガソーラー発電所の仕事でした。

仕事自体は非常に楽で給料もよく、ほとんど働かずに前職の1.5倍ものお給料をいただける仕事でした。

私は人生の前半~中盤で苦労をしすぎて精神と肉体が完全に疲弊しきっていたので、ここである程度稼いだら引退するか・・・弥勒の世も来なかったし、まったりするか、なんて思っていました。

そんな平穏な生活の中で、美しい山々を眺めていましたが、私の眼前には「御嶽山」が美しく輝いていました。

「・・・そういや、御嶽山は国常立大神様の御神体だったなぁ」

私は御嶽山を眺めながら、そんなことを思い出しました。
2014年頃、御嶽山が噴火しましたが、私はなんとその噴火の一週間前に、御嶽山の山頂まで登っています。

「これもなにかの縁なんだろうな・・・。というか自分はもしかすると、神様に助けられたんじゃないのか?」

神の道から完全に離れたつもりだったのですが、あまりにも労働環境がよく平和で、過去の辛い時代で冷めきった心と体が、徐々に癒えていきました。

そして、「肉食はどうも体の調子が悪い・・・やはり年齢的に考えても菜食に戻すのが正しいのか」と思うようになり、元の菜食に戻っていきました。

コロナウイルスによるパンデミック発生

そして2020年。コロナウイルスが発生。世界はバケツを引っくり返したような大騒ぎになりました。

私の前職場は自動車工場で、次から次へと工場閉鎖のニュースが舞い込む中、私がいた工場も生産ストップし閉鎖してしまいました。

「あれ・・・!?俺、もしかして神様に助けられた・・・!??」

その時、確信しました。
もしもあのまま都心近くの工場にいたら、私は間違いなくコロナウイルスに感染していた。
仕事も工場閉鎖で失い、露頭に迷っていたかもしれない。これは、間違いなく、神様に助けられたんだ、と確信した。

世界的に大不況に陥る中、メガソーラーという仕事はほぼその影響を受けない、非常にまれな仕事だったのです。

このとき私は思いました。

・私は間違いなく、神様に助けられた。
・私の前には、かつて私が人生をかけてお祈りし続けた国常立大神の御神体、御嶽山がある。
・私は、非常に暇である。なぜ、こんなにも時間があるのか。

この3つのことから、私は「元の神の道に帰り、暇を生かして日月神示のサイトを作り、これから起きるであろう大峠で一人でも多くの人に道を示し、助けなければならないのではないか」と。

故に私は、このサイトを立ち上げた・・・というわけです。

現在の自分

現在の私は、肉食を再びやめました。

が朝夕の礼拝や瞑想など、昔毎日行っていたことをまだ復活できていない。
一度道から離れた自分ですが、また少しずつ自分の生き方を修正しなければならない・・・情けなや。

 ひふみ神示 第08巻 磐戸の巻  第16帖 (252) この道の役員は昔からの因縁によってミタマ調べて引寄せて御用さしてあるのざ、めったに見当くるわんぞ、神が綱かけたら中々はなさんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、くるくる廻って又始めからお出直しで御用せなならん様になって来るぞ。ミタマ磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ。出雲(いずも)の神様 大切申せと知らしてあること忘れるなよ。子(ネ)の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替へは水と火とざぞ。

そうか、自分は結局またはじめからお出直しなのだなぁ・・・仕方ない。

けれども今回のことで分かった。
自分が道を外れることも、神示を捨てることも、神様は分かっておられたのだなぁ。

これからどうするか

これからどうしようか・・・。とりあえず今はまた神示を読むしか無い。

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