日月神示と実践法

日月神示と瞑想

日月神示と実践法

感謝瞑想をしよう

感謝瞑想とは、「あらゆる事に感謝する」瞑想です。自分のおかれている状況に感謝、親や兄弟、友人たちに感謝、自分を守ってくれる守護霊様・守護神様に感謝、そしてこの世を影から守って下さる神様に感謝・・・といった具合にです。

瞑想の方法

瞑想の方法については人それぞれ手法が違うと思いますが、私が行ってきた方法を書いておきます。

(1)仰向けになり、手をお腹の前にそえる

(2)そっと目を閉じる
(3)手が重い、足が重い・・・と頭の中で唱える。

(4)手が温かい、お腹が温かい・・・と頭の中で唱える

(5)(3)~(4)を数度行い、意識が深いところに落ち込んでいくのを感じる
(6)足から冷気が上り、お腹、胸を経由して、第三の目(額)に光が集まっていくのをイメージする

(7)額から天に向かって光が立ち上るのをイメージする

(8)この段階で自分の周りが無の空間(宇宙空間?)に浮かんでおり、体の表面が光り輝いている自分を、少し離れた状態から見ている感覚になっていく。

(9)完全に集中した状態(瞑想状態)になったら、感謝を始める
(10)「自分が生かされている事」に感謝
(11)「たくさんの人達に助けられてきたこと」に感謝
(12)「自分を守ってくれるご先祖様、守護霊様、守護神様」に感謝
(13)「この世を守ってくれる神様」に感謝
14)”感謝”が極限の状態になると、突然お腹の中に光の渦が生じ、それがすごい勢いで額を通じて天とつながる

(15)自身が天に浮かび遠くから街や地球を眺めているような状態になる。神様が身近にいて、守られていることを強く感じる。悟ったような、不思議な感覚になる。自分が生かされていることを強く感じる。

(16)この段階に来ると、体表が完全に光り輝き、天から額→頭→腹→全身へと凄まじいエネルギー(神気?)が全身に流れ込み、涙が止まらなくなる(この世のありとあらゆる快楽の数千倍もの幸せを感じる)

※時間感覚はほぼ無くなるが、幸福感が全身を包むため、「できる限りこの状態を維持したい」と強く願う。
弥勒の世がこの感覚を常に味わえるような世界とするならば、どんな事をしてでも弥勒の世にいきたいと願う程。

・・・が私の修行不足か、この状態を長く維持できませんでした(30分ほどが限界でした)

この瞑想を日常的に行っていると、(15)~(16)の段階で様々な映像を見ることになります。

が、この映像がどこの?誰の?関係する映像か、さっぱりわかりませんでした(自分の過去の見てきた記憶ではなさそうでした)
色々と調べているうちに、どうもこの映像はアカシックレコードにアクセスしているのでは?と思い始めました。

恐らく修行の段階が更に進むと、別の状況がやってくる気がします。

(14)の状況

第三の目やチャクラに関して、当時私なりに色々と調べました。世間で言われている瞑想術・第三のチャクラでも(8)の段階まではいけます。
この状態を維持できるようになればまずは合格です。自分自身が光り輝き、天(神様)からの回線がつながっている状態です。ただ、この状態だけではあくまで神様とつながっているだけで、少量の神気が流れ込んでいるだけの状態といえます。

この状態で霊能力獲得に走ると、いわゆる「魔境」に落ちると思います。
魔境とは恐怖や不安感、霊が近くにいる感覚、焦燥感、過去の過ちの記憶など。感覚が非常に鋭くなっており、周りの雰囲気に敏感になり、恐怖を招きます。特に御霊の修行が進んでいない初期の状態でこの状態になると恐ろしいです。
瞑想初期は心のなかにある様々なわだかまりが邪魔して、深い瞑想状態に入れません。入ったとしても、恐怖が生まれたり、低級霊?を引き寄せたりと怖い面があります。やはりここでも身魂磨き第一なのです。

この魔境に落ちないためには「感謝」が必要です。

ここから先の鍵となるのが「感謝」です。それも本心からの感謝。この世のありとあらゆる事に感謝し尽くすことで、凄まじい神気が額から顔に流れ込み、全身へと至ります。これはすごいです。本当にすごいです。

丹光

訓練を積むと「丹光」という光を見るようになります。体内の霊気の流れが、まぶたの裏側に見えるんですね。
霊気は第1チャクラから脊髄を通って第6チャクラへ至ります。
第三の目を開くには、お尻からの霊気を、脊髄を通して額に集めていくイメージです。
霊気を充填すると、徐々に額の鏡が綺麗になっていく感じですね。
その過程で「丹光」が見えます。

(1)

丹光の光はチャクラの開き方と、瞑想が何を目的に行っているかによって色が変化するとされています。

私が神様につながる瞑想は「愛」によるものなのか、(1)画像のように薄い緑色の丹光が、霊気の充填にシンクロして外側から輪が内側に向けて、収縮していきます。

(2)

額の鏡に霊気が充填されると、額の前の鏡に曇りがなくなったイメージとなります。

その後、(2)図のように徐々に丹光が時計回りで回転をはじめ、緑色と紫色が混ざり始めます。愛と宇宙のつながりができていくという感じですね。

(3)

心のなかが感謝に満ち、神様と完全に繋がると、額から天に向けて白い光が入り込みます。

ひふみ神示 第26巻 黒鉄の巻 第二十二帖 神は額から入って顔全体に至り、全身に及ぶものであるぞ。(一月二十二日)

まさにこれです。神示に答えが書いてありました。
神気が額に入り込み、顔に広がって、全身を覆います。

凄まじい感動と歓喜に全身が震え、いまだかつて味わったことのない感動・幸福感で満たされます。恐らくこれが「神人合一」の状態なのではないかと思います。

感謝瞑想には肉食が邪魔になる

上記の瞑想状態に入るまでには、とても長い期間がかかります。
私が20歳にこの道に入り、少しずつ道を学んで、独学でこの瞑想を完成させるのに15年もの歳月がかかりました。
特に超えられない壁だったのが、赤マーカーで書いた(14)の段階です。
(10)~(13)までの感謝は、本当に謙虚になり慢心を捨て、ただただ感謝するという状態なのですが、肉食をしているとこれが嘘になります。
当然ですよね、普段から動物を殺しその肉を口にしている人間の感謝など、上辺のものでしかないんですから・・・。
他人を殺しておいて、「感謝します!神様!」といったところで、自分がしてきたことは殺しなのですから。
だからこそ、肉食は神気を発するのにとても邪魔になるんです。

私がほぼ菜食をしていた時期はこの状態に入るのはそれほど難しくなかったのですが、肉食を再開してから(14)以降の状態に入れなくなりました。
故に私はまた肉食を断ち、修行中です・・・。

第7チャクラが開くことによって

シルバーバーチの霊訓にもあるのですが、人間の魂の成長は波のように訪れるようです。
筆者の経験としても非常に落とされるような不幸な出来事が生じたあと、大きな幸せが訪れるといった風に運勢が大きく波打ちます。

魂の成長もそうで、一度大きく魂が汚れるような出来事が生じたあと、一気に浄化されるような出来事がおきるケースがあります。そのような経験を繰り返して、魂は成長を続けていく訳です。

第7チャクラが開くような状況というのは、筆者で言えば長い間菜食を続け、神様に対して深い感謝の瞑想を捧げ、日に4、5時間にも渡る神様との会話を通して至るような、かなり特殊な環境に身を置かないとたどり着けない境地と思います。

が、こういった行為には必ず反動を伴います。多くの開眼者が経験するように、精神に対して大きく傾くと肉体がひどく衰弱するのです。

筆者の場合、第7チャクラが開くような強烈な経験(宇宙と一体化したような、体中にほとばしる幸福感)を味わった後、体に大きな不調を来し体重が8kgほど落ちました。
肉体が生きることに執着しなくなったような状態になり、自己が喪失しているようなボーッとした状態になりました。体も衰弱して仕事中も立っていられないような状態になり、土日は一日中横になっていないとだめなほど、体が痛めつけられてしまったのですね。この原因は脳内麻薬だとか色々と言われそうですが、筆者の場合は迷走中にほぼ呼吸が停止していたことが原因と思います。

上で書いている「肉食を再開した」という理由はこれで、このままだと死ぬと思った訳です。

一度たどり着いた場所には必ずたどり着ける

筆者の場合、18歳ころからこの道に入り完全に四足食を断ってきたのに、42歳(厄年)になりまた肉を口にしてしまった訳です。

ただ、肉食をしたからといって、それでこの道が閉ざされたわけではありません。機会がくれば必ずまた肉食を断つ時期がきます。

筆者の場合、一年程この道から離れて過ごした後、体が回復した頃に不思議な経験をしました。
そろそろ体力も戻ってきたし、肉食をやめる時期かなと感じその頻度を減らしていたある日、ラーメンのチャーシューを食べようとした瞬間にコップの水を盛大にこぼしてしまいます。

その翌日、 同じお店でモーニングを注文したときにメニュー内に小さな唐揚げがありました。

「どうしようかな・・・そろそろ肉食をやめるべきだよな」と思いながら、そのお店でモーニングを頼みカウンターに受け取りに行ったときに、店員さんがコーヒーを私のモーニングセットのトレイ内に盛大に零しました。

店員が慌てて交換してくれたのですが、その時筆者はハッとさせられた訳です。しばらくこの道から離れていたが「そろそろ体も回復したし、戻ってこい」というメッセージだと感じた訳ですね。

筆者の場合この道から離れ、「神示を捨てる」という状態になったのが厄年の42~43歳の1年間でした。けれどもまた心を正しこの道を歩み出している状態です。

菜食はやり方を間違えてはいけない

前回、第7チャクラが開くような状態になったときにした失敗は
・瞑想法(呼吸が止まってしまう)の修正
・菜食の方法
の二点を修正しなければならないと感じています。

瞑想法については呼気の意識を変化させるとして、菜食については誤ったやり方をしていたのが明らかです。
当時は栄養バランスも考えず、同じような野菜スープ+米だけを淡々と食べていました。栄養のバランスが悪かったのですね。カロリーも今考えてみれば1500kcalの成人男性に必要なカロリーをかなり下回っていた。

これらを改善するように、いろいろなものを食べる。菜食についてよく勉強をしなければならないのだというのが、今の課題です。

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