日月神示の解説 第2巻 下つ巻 解説

日月神示 第2巻 下つ巻 10帖~14帖 解説

日月神示の解説

第2巻 下つ 10帖19440717月第十帖(五二)


八月の十日には江戸に祭りて呉れよ。アイウは縦ぞ、アヤワは横ぞ、縦横揃うて十となるぞ、十は火と水ぞ、縦横結びて力出るぞ。何も心配ないからドシドシと神の申す通りに御用すすめて呉れよ。臣民は静かに、神は烈しきときの世近づいたぞ。七月の十七日、一二ʘ 。

元々この「縦」と「横」というのは大本教の出口王仁三郎を緯(よこ)、出口なおを経(たて)としたことから派生しているものと思います。

実践リーダー教本[初級編] 大本本部愛善宣教部編

開祖は至厳、至直、至正、至高の経(たて)の教え、聖師(王仁三郎)は至仁、至愛、円融自在の緯(よこ)の教えを啓示し、経緯(たてよこ)揃って完全円満な大本の教えがたてられています。

これが縦を岡本天明とし、横の働きをする人が出てくるのを待っていたのか、それとも単に天の働きを縦とし、関係者人々の働きを横としたという意味なのかは定かではありません。

第24巻 黄金 37帖 19491127日 第三十七帖  
集団(マドイ)は天国の組織同様にせよ。横にはウクスツヌフムユルウの十柱ぞ。縦にはアイウエオの五柱、結構ぢゃなあ。横だけでもかたわ、縦だけでもかたわ、この方 見えんアであるぞ。顕れは神示ぢゃ。よく相談し合って結構致しくれよ。弥栄えるぞ。秘文読めば判る。神業奉仕すれば自らめぐり取れるのぢゃ。めぐりないもの一人もこの世には居らん。かのととり。一二十

→ひらがなをベースとした記述で縦・横を表現する手法は他の帖にも出てきますね。日月神示は始めの3年程でその大半が降ろされ、以降はひかり教会・至恩郷と組織だっての活動をしていたようです。その際に関係者として主要なメンバーを、ひらがなにあわせて集めていったのかもしれません。

ヤの身魂というのは、日月神示の解読に携わった矢野シンという霊能力者であったようですね。

筆者は当時の関係者ではないので、憶測に過ぎませんが・・・。

第2巻 下つ 11帖 19440718火 第十一帖 (五三)

けものさへ神のみ旨に息せるを神を罵る民のさわなる。草木さへ神の心に従ってゐるではないか、神のむねにそれぞれに生きてゐるでないか、あの姿に早う返りて呉れよ、

→「 けものさへ神のみ旨に息せるを神を罵る民のさわなる。 」
獣でさえも神様の意思に従って生きているのに、神を罵る人々ばかりではないか。

青人草と申すのは草木の心の民のことぞ。道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人がさして呉れるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ。七月の十八日、ひつくのか三。

第6巻 日月 月 40帖 19441130木 第四十帖 (二一三)
坂本なる桃の実一二三(ひふみ)取りて待ち受け給ひしかば、ことごとに逃げ給ひき。ここに伊邪那岐命 桃の実に宣り給はく、汝(みまし)吾助けし如、あらゆる青人草の苦瀬(うきせ)になやむことあらば、助けてよと宣り給ひて、また葦原の中津国にあらゆる、うつしき青人草の苦瀬に落ちて苦しまん時に助けてよとのり給ひて、おほかむつみの命、オオカムツミノ命と名付け給ひき。

→青人草というキーワードはイザナギ・イザナミの伝記に出てくる言葉ですね。基本的に我々日本人と思えばよいと思います。

第2巻 下つ 12帖 19440718火 第十二帖 (五四)

この神は日本人のみの神でないぞ。自分で岩戸開いて居れば、どんな世になりても楽にゆける様に神がしてあるのに、臣民といふものは慾が深いから、自分で岩戸しめて、それでお蔭ないと申してゐるが困ったものぞ。早う気づかんと気の毒出来るぞ。初めの役員十柱集めるぞ。早うこの神示写して置いて呉れよ、神急けるぞ。七月の十八日、ひつ九のʘ 。

→日月神示に繰り返し書かれている「身魂磨き」を実践していけば、どんな世の中でも幸せになれるんだぞということだと思います。

第2巻 下つ 2帖 19440713木 第二帖(四四)
岩戸開くと申しても、それぞれの岩戸あるぞ、大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸あるから、それぞれ身魂相当の岩戸開いて呉れよ。慾が出ると分らんことに、盲になるから、神、気つけるぞ、神の御用と申して自分の仕事休むやうな心では神の御用にならんぞ、どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分もして下されよ。

→また、前の町にあった通り、自分の仕事を一所懸命にやれば、どんな世の中であっても暮らしていけるよという事かもしれませんね。

筆者はいわゆる就職氷河期世代で18歳頃は氷河期のアオリを受けて地獄のような状況下にありましたが、技術職を極め現在は割と気楽ぐらしです。いつの時代になっても技術をもってる人は強い。

第2巻 下つ 13帖 19440718火 第十三帖 (五五)

逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな、上にゐては足も苦しからうがな、上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、足はやはり下の方が気楽ぞ、あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、この道理分りたか。

第1巻 上つ 28帖 19440701土 第二十八帖 (二八)
百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度はとことはに定まるのぞ、身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ、茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、今の世はみなそれでないか。これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。

次の世の中ではそれぞれの得意な分野で活躍していく世の中になるようですね。人はそれぞれ持っている能力が違うので、それぞれ得意な事を活かして生きていけばそれでいいよ、という世の中になるのでしょう。

第8巻 磐戸 5帖 19450103水 第5帖 (241)
臣民の心の中にいけおいた花火 愈々ひらくとききたぞ、赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、それぞれのミタマによりて、その色ちがふのざぞ、ミタマ通りの色出るのざぞ。金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として磨いてくれよ、金のまねするでないぞ。

また、人にはそれぞれ持って生まれた特性というのがあって、金の魂もあれば鉛の魂もあるようです。それには優劣はなく、定まった役割の通りにそれぞれの道を極めて行くことが、結果として社会を発展させていくことに繋がるようです。

第11巻 松 10帖 19450624日 第十帖 (三〇一)
今度 役目きまったら、末代続くのざぞ、神示に出た通りの規則となるぞ。

電気屋は電気屋、大工は大工、とそれぞれの得意分野を延々に追求していく。職業替えというのはなくなるのかもしれませんね。

岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。三(みち)の役員は別として、あとの役員のおん役は手、足、目、鼻、口、耳などぞ。人の姿見て役員よく神の心悟れよ、もの動かすのは人のやうな組織でないと出来ぬぞ。この道の役員はおのれが自分でおのづからなるのぞ、それが神の心ぞ。人の心と行ひと神の心に融けたら、それが神の国のまことの御用の役員ぞ、この道理分りたか。

ここでいう「役員」というのは恐らく岡本天明氏らとその廻りに集まってきた初期のメンバーの方々を表しているのでしょうね。ひかり教会、至恩郷と組織が変化していくにつれて、役員のメンバーも変わっていったのでしょう。

この道は神の道ざから、神心になると直ぐ分るぞ、金銀要らぬ世となるぞ。御用うれしくなりたら神の心に近づいたぞ、手は手の役、うれしかろうがな、足は足の役、うれしかろうがな、足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ、それがまことの姿ぞ、逆立して手が足の代りしてゐたから よく分りたであろうがな。

第29巻 秋 26帖 – 第二十六帖  
人民それぞれのミタマによって役目違ふのであるぞ。手は手、足は足と申してあろう。何も彼もマゼコゼにやるから結びつかんのぢゃ。

→弥勒の世となれば、それぞれの人のもつ才能・因縁に応じた仕事を続けることになるようです。考えても見れば、出る杭を打つような今の日本の教育では、才能のある人の能力を伸ばすことができません。本来人間には向き不向きは当然あるもので、それぞれの分野で最高のパフォーマンスを発揮する方が良いわけです。

が、今の社会ではなんでもこなせる人材を求めるあまりに、全ての面において中途半端で使い物にならない人を量産してしまったわけですね。

平成までの製造業主体の日本社会では平均的な能力を持ったなんでもほどほどにこなせる人材が必要とされてきましたが、今の令和の時代だと中途半端な人間は個性を発揮できず埋もれてしまうのが現状ですよね。

いよいよ世の終りが来たから役員気つけて呉れよ。神代近づいてうれしいぞよ。日本は別として世界七つに分けるぞ、今に分りて来るから、静かに神の申すこと聞いて置いて下されよ。この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ、わかりた臣民から御用つくりて呉れよ、御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、心配なくつとめて呉れよ。七月の十八日の夜、ひつくのか三。

第3巻 普字 9帖 19440818金 第九帖 (八九)
神界は七つに分かれてゐるぞ、天つ国三つ、地(つち)の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界(ちうかい)の七つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。

世界を7つに分けるというのは、神界の構造が七段になっているのに関係しているのかもしれませんね。

ここで、次の世の中がどのような状況になるかを考察してみましょう。

第29巻 秋 9帖 – 第九帖  みろくの世となれば世界の国々がそれぞれ独立の、独自のものとなるのであるぞ。ぢゃが皆それぞれの国は一つのへそで、大き一つのへそにつながってゐるのであるぞ。地上天国は一国であり、一家であるが、それぞれの、又自づから異なる小天国が出来、民族の独立性もあるぞ。一色にぬりつぶすような一家となると思ふてゐるが、人間のあさはかな考へ方ぞ。考へ違ひぞ。この根本を直さねばならん。霊界の通りになるのぢゃ

→霊界の通りになる、とあるように、やはりそれぞれが7段に分類されるような状況になっていくようです。それぞれ似たような性質を持つ人々が夫々の集団を作りかたまり、組織を作っていく。

いわゆる「波長の法則」というのがよくスピリチュアルな世界でいわれますが、似たもの同士が集まって一つの組織を構成する状態になるのでしょう。

第5巻 地つ 11帖 19440921木 第十一帖 (一四八)
世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。その心々によりて、それぞれの教作らすのぞ。

日本の国は別として、世界7つに分けるとあります。また国はそれぞれ色の違う種族ごとに分けるようですね。

日本人・白・黒・赤・黄・青・橙・・・・あと何色だろう?

第2巻 下つ 14帖 19440720木 第十四帖 (五六)

臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。

→一二三、三四五については前の帖で考察してみました。

単純に考えれば上のような感じなのかなと思うのですが、間違っているかもしれません。

この神は世界中の神と臣民と、けだものも草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。

→国常立大神様は世界の親神であり、神様の神でもあり、草木・動物・虫らの神でもあります。筆者的にはどのように御用しようか・・・と色々悩む所ではありますが、とりあえず私は山中に居ますので、山の中のゴミを拾うことにしてます。

神様と臣民同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告うけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。

→我々にはそれぞれ守護霊がついているようです。この守護霊というのは私達の魂のレベルや役割が変化するに従い、担当が変わっていく事も在るようですね。

彼らも元々は人間であったりするわけで、彼らもまたこの地上界で、あなたに憑いて色々と学んでいる訳です。「神示声だして読めよ」というのは、彼ら守護霊様方にも聞こえるようにするという意味合いもあるようです。

筆者は神示を声だして読んでいると、様々な霊が廻りに集まってくることを感じました。筆者は幼少期から霊障に悩まされていましたが、神示を読むことを続けていくとこの霊障が止んだので、廻りで私をサポートしてくれる守護霊様方が悪霊の類いを寄せ付けないようにしてくださっていると思っています。

→ 「サニワでお告うけて呉れよ 」は頭に響く神様の声や、自身に生じた変わった出来事が、悪霊によるものか善霊によるものかを、よく判断して取り入れろよ、ということですね。
このサニワについてはかなり経験にもよりますが、善霊のフリをして近づいてくる悪霊もいるため、判断がかなり難しいです。

サニワ(審神)

ここで「サニワ」についての帖をソートしてみます。
そもそもサニワとななんなのでしょうか。

第2巻 下つ 26帖 19440731月 第二十六帖 (六八)
小さい事はサニワで家来の神々様から知らすのであるから、その事忘れるなよ。

第7巻 日出 10帖 19441210日 第十帖 (二二三)
聴き度い事はサニワで聞けよ、何んなことでも聞かしてやると申してあろがな、神せけるぞ。

サニワとは頭の中に響いてくる霊の声であったり、身の回りに起きる不思議な出来事であったりします。

第24巻 黄金 29帖 19491127日 第二十九帖  
神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。サニワせよ。薬、毒となることあると申してあらうが。馬鹿正直、まことの道 見失ふことあると申してあらうが。

ただそれらの出来事というのは、悪霊によるものであったりもするわけで、疑いもせずこれを受け入れてしまうと、大きく道を外すことになるということのようです。

筆者の場合、幼少期から霊障で頻繁に頭の中に声が響いており、この言葉の指示通りに動いてとんでもない事になったりと散々でした。

サニワに関する正しい知識があれば、あんなことにはならなかったのになぁと今でも思います。

第2巻 下つ 15帖 19440721金 第十五帖 (五七)
この方祀りて神示(ふで)書かすのは一所なれど、いくらでも分け霊(みたま)するから、ひとりひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。祀る時は先づ鎮守様によくお願いしてから祀れよ、鎮守様は御苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ、この神には鳥居と注連(しめ)は要らんぞ。

サニワの仕方というのは人それぞれであり、神前で指示を頂くという手法もあるでしょう。筆者の場合は瞑想中に色々な気づきを頂いたり、神社前で指示を頂いたりと様々ありますが、その支持の頂き方はひとそれぞれ。あなたなりのやり方を確立しましょう。

第24巻 黄金 45帖 第四十五帖  
お告げに迷ふぞ。審神(サニワ)して聞けと申してあらう。審神して聞け。判らなくなれば神示見よ。(十一月裏四日)一二十

サニワは「審神」と書くのですね。

第24巻 黄金 48帖  第四十八帖  
はらひ清めの神がʘ三ᘏ(スサナル)の神様なり。サニワの神は|曰十ᘏの九ん二ん(ウシトラのコンジン)様なり。それぞれにお願ひしてから、それぞれのこと行ぜよ。

国常立大神様にお願いしてから物事をすすめるとすらりすらりと行くようです。

第27巻 春 2帖 19520127日 第2帖(659) 
世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。悪かみかかりに迷ふでないぞ。サニワせよ。外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ。旧、元旦、日月神。  

筆者の経験上、耳元に強く語りかけるような言葉は悪霊によるものが多いです。「あれをしろ」「ここに行きなさい」といった命令口調の言葉は、基本無視してよいと思います。

内からの声は声にならないような声で、非常に繊細であり、にじむように心に響いて感覚に訴えかけるような声です。これを検知できるようになるには、おそらくは第3の目(第6チャクラ・サードアイ)の開眼が必要になると感じています。
基本的に優しさ・愛を感じるもので、この声を検知するためには、自身の体調のコンディションが整っているか、空腹で精神が研ぎ澄まされており、かつ雑多な事で頭がごちゃごちゃしていないような状況が必要のようです。

サードアイは第1~5までのチャクラの状態が正常でないとうまく開眼しないようなので、体調のコンディションを日々整えるようにしましょう。

第27巻 春 54帖 – 第五十四帖  
目に見へず、上、下、左、右、前、後から何となくせまってくるものをサニワせよ。サニワして受けいれねばならん。自分の魂をはぐくみ、生長さしてくれる大切なものは目に見へんところから流れてくるぞ。

瞑想をしている時、得体のしれないものが近くに迫ってくる感覚を覚えることがあります。それが神なのか悪霊なのかよく判断しなければならないよ、という事です。

五4 龍音 3帖 19610803木 第三帖  
世界中が霊かかりとなると申してあるのは今のことであるぞ、かかりてゐる世界自身わからなくなっているぞ、サニワせねばならん、サニワの方法書き知らすぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。目に見へぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的となるものであるぞ、ドタンバタン、大声でどなり散らすのは下の下。神もフトマニに従わねばならん。順を乱すわけには参らん、高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ、下級霊は現実界と紙一重の所に住んでゐるのであるから、その感応は極めて強く、如何にも尤(もっと)もらしく人民の目にうつるものであるぞ、高度のものは、その人民のミタマの如何(いかん)によって、それと同一波調の神霊に伝達され、その神霊の感応によって表現されるのであるぞ。特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。また天使の霊が母体に宿り人民として生れてくる事もあるぞ、末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。

→サニワの仕方はこの帖にまとめられています。
高度なものほど肉体的には感応が弱くなり」とあるように「あれをしろ」といった風に耳元に声でかたりかけてくるようなものは低級霊であることが多いので、基本は無視します。

高位な霊によるものは「気付き」であることが多く、瞑想中に「あぁ、あれはこういう事か!」と気付かされるものです。また非常に澄んだ瞑想をしていると動物が寄ってきたり、不思議な偶然が重なったりというのも、高位な霊によることが多いようですね。

五4 龍音 5帖 19610803木 第五帖  
幽界は人間界と最も深い関係にあり、初期の霊かかりの殆どは この幽界からの感応によることを忘れるでないぞ。霊かかりの動作をよく見極めればすぐ判る。高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、インチキ霊であるぞ、インチキ霊にかかるなよ、たとへ神の言葉でも尚サニワせよと申してあろう。迷信であってもそれを信ずる人が多くなれば、信ずる想念によって実体化し、有力な幽界の一部をつくり出すことがあるから気付けておくぞ。無き筈(はず)のものを生み出し それが又地上界に反影してくるのであるから心して下されよ。今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもつ、胸に手をあててよくよく自分をサニワせよ。

「我はアマテラスなり」といった風に高位の霊を名乗る霊は間違いなく悪霊。また「おぬしは救世主じゃ」という風に自尊心をくすぐるような霊も悪霊の類いなので決して耳を傾けてはならない。

神示を読み始めた初期の頃のように自身の精神レベルが低い状態だと悪霊による感知を受けやすいため、神示の読み始め半年程は、耳元にささやくような声は基本的に無視した方がよいでしょう。

高度な霊的感覚を磨くには長い長い年月が必要で、その身魂磨きがすまないうちに悪霊の声に騙され道を外していく人が多くいます。
「日月神示の続編を書いたぞ!」という人がちらほらいますが・・・・まぁそういうことです。

五4 龍音 6帖 19610803木 第六帖  
霊的良識は、神示や神典類によって、又体験によって養はれ、又高度な科学書も参考となるものぞ、科学を馬鹿にしてはならん。幽界の霊であっても高度のものともなれば、神界の高級神霊と区別することが六ヶ敷いぞ。初歩のサニワの誤り易いところであり、又霊眼するものの誤り易いところ、注意しなければならん、例へば霊光の如きものも強く大きくて中々にサニワ出来ないぞ。

→日月神示を読むことも重要ですが、大本神諭、霊界物語といった過去の大本の文献や、シルバーバーチの霊訓といった全人類救済に向けて霊界から放たれたメッセージを書籍にまとめたものは、必ず目を通しておきましょう。

また、「 高度な科学書 」というのはたとえば量子力学ですね。

【ゆっくり解説】わかりやすい二重スリットの実験(この世界は仮想現実)

量子力学の二重スリット実験では、対象者が実験を観測すると実験結果が変わってしまうという不思議な現象です。これは対象を見るという事象が、実験に影響を与えてしまうということで、スピリチュアル的に言えばあなたが放った思念が他者へと影響してしまう可能性を示唆しているものですね。

五4 龍音 13帖 19610803木 第十三帖  時に、例外として人間の魂と動物の魂と入れ替ってゐることもあるぞ、この場合は肉体に入り込んだと考へてよいぞ。こう言ふ場合、例へばそれが狐ならば狐の様相を露呈するから、誰にでもすぐ判るなれど、悪行を積んだ霊ともなれば巧みに、その時代々々の流れに合せて化けているから、中々見破ること六ヶ敷いぞ、心得なされよ。或る種の霊は、自分自身は高度な神界に住んでゐると誤信してゐるものもあるが、こうした霊が感応した場合は自信を以って断言する場合が多い、人間が知らぬ世界のことを、自信を以って強く告げられると、多くのサニワは参って了ふぞ。

→「悪霊は断言が多い」という事を覚えておきましょう。「それはこうだ!」と断言してくるような声には耳を貸さない。

五4 龍音 15帖 19610803木 第十五帖  サニワは、場合によって霊媒を誘導してもよいぞ、又霊に向って常に愛を持って接しなければならんぞ。誰でも絶へず霊界とのつながりがあり、霊界からの呼びかけがあるから、サニワはそれを助け、導くように努力しなければならんぞ。

→愛と善こそが善霊につながる方法で、第5チャクラを開く鍵になります。低級霊はこういった愛・善による波長を苦手とするので、低級霊は自然と離れていくことになります。神を感知するときは、必ず愛と善で全身を満たすようにしましょう。

五4 龍音 18帖 19610803木 第十八帖  
霊にʘ(ひつぐ)神示をよんで聞かせて見よ、その偉大さがハッキリ判るぞ。どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはいけない、馬鹿にすると反射的にサニワを馬鹿にして始末におへんことになるぞ。霊覚者や行者の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくあるぞ、一般の人民はそれにだまかされることがよくあるぞ、何れも下級霊のしわざであるぞ、正神には奇跡はない、奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは亡びる。高級霊は態度が立派であるぞ、わかりたか。

→人間もそうですが、低級な人ほど馬鹿にされると激高して怒りだし、喚き散らしたり、暴れたりとメチャクチャな事をします。霊もまたこれと同じで、自分を偉いと思っている低級な霊ほど始末に負えない状態になるわけです。

こういった霊をそもそも寄せ付けないように、愛と善で全身を満たすことが重要となってきます。

病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。飛んだところに飛んだこと出来るぞ。それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけて居れば、さきの事もよく分かるようになるぞ。

→筆者は幼少期は大変に体が弱く病気がちだったのですが、40を過ぎた今でも不思議と大病をしたことはありません。なので人が「歳を取ると体力落ちるよなぁ」というのをあまり感じませんでした。なぜなら私は~20歳頃までの方が40の今よりも体が弱かったくらいなので。

神示を実践してきた結果、病気が自然と治癒していたのかもしれませんね。

元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ。七から八から九から十から神烈しくなるぞ、臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立してゐるからぞ。世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。七月の二十日、ひつ九のか三。

→ 「七から八から九から十から神烈しくなるぞ 」というのは恐らく時期を表しているのでしょう。例の検証からどうも2024年あたりから日本が危機的な状況になると筆者は予想していますが(あと二年しかない)、2024年~2027年までの3年間が外国からの侵攻、そして2027年~2030年が火山や地震などの地球規模での変動・・・という推測もしています。

まぁこれはあくまで予測に過ぎませんが、「辛酉の年」が直近では2042年であることを考えると、筆者が生きている間ではこの時期の説が濃厚なのかな、と思います。

時事ドットコム

ロシアも千島列島にミサイルを配備するなど、水面下では「日本侵攻」への準備が進められています。中国による台湾侵攻時に日本が台湾を守るという立場を取った時が、全ての始まりだと筆者は予想しています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました