下つ巻は、岡本天明氏ら初期のメンバーが、「日月神示」という啓示の元に榛名山の蛇が岳へと登頂し、下山後に組織的な集まりを構成していく。
その際にどのようにすればよいかを記した、神様から岡本天明氏らへの指示書のような帖である。
1帖 19440712水 第一帖(四三)
富士は晴れたり日本晴れ。青垣山めぐれる下つ岩根に祀り呉れた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。 鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水あるそれ鳥居ぞ。皆の者 御苦労ぞ。蛇(じゃ)が岳は昔から神が隠してをりた大切の山ざから、人の登らぬ様にして、竜神となりて護りて呉れた神々様にもお礼申すぞ。
→「青垣山」
あおかき‐やま あをかき‥【青垣山】 〘名〙 (後世は「あおがきやま」) 垣のように、周囲をとりまいている、木の青々と茂った山。
→「下つ岩根」
そこ‐つ‐いわね〔‐いはね〕【底つ×磐根】 の解説地の底にある岩。
”しもついわね”と読んでいました・・・。そこついわねなん ですね。
「青垣山めぐれる~」のくだりは大本の祝詞の感謝祈願祝詞の中の一部で、大本本部である「青垣山籠もれる下つ岩根の高天原」からきている。火山カルデラに囲まれた土地、といった意味があるようだ。
→岡本天明氏ら(三柱:天明・都筑太一・佐々木精治郎)は、上つ巻42帖が降ろされた1944年7月9日と、下つ巻 1帖が降ろされた1944年7月12日の間の10、11日の二日間をかけて、榛名山の蛇が岳へと参り、天之日津久神をお祭りした。
上にあるように廻りが鬱蒼と木々が多い茂った中の岩へと、お祭りしたのだろう。
時代は昭和19年、日本は本土空襲が始まろうとしている激動の最中である。
富士は晴れたり日本晴れ。いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいて呉れよ、神急けるぞ、山晴れ、地(くに)晴れ、海晴れて、始めて天(てん)晴れるぞ。天晴れて神の働きいよいよ烈しくなりたら、臣民いよいよ分らなくなるから、早う神心(かみこころ)になりて居りて下されよ。
→山・地・海・天という順に、大峠は進んでいくようですね。
山は火山噴火(富士山?)、地は地震、海は・・・なんでしょうか?海底火山噴火でしょうか。
最後の天はおそらくはオカルト界隈でよく言われるベテルギウス爆発ではないでしょうか。
太陽のような強烈な光を放つ惑星の爆発・・・。地球には夜がなくなってしまうのかもしれません。ベテルギウスはすでに超新星爆発を起こしていると言われており、一厘の仕組がこのベテルギウスの超新星爆発の光が地球に届くタイミングで起きると仮定すると、何百年も前からすでにこの神仕組が成る時期は定まっていたのでしょう。
この一厘の仕組により宇宙そのものの仕組みが原子分子レベルで変わってしまうという噂もあります。
ヨハネの黙示録の暗黒の三日間では、人工的な火は使えず、祝福されたロウソク以外に明かりを灯すことができない、と筆者は妄想しています(スマホとかLEDライトとか使えなくなっちゃう?)
つぎつぎに書かしておくから、 よく心に留めておいて下されよ。この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神がみちみつることぞ。金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。七月の十二日の神示(ふで)、ひつくのか三。
→日月神示は宗教ではない、とここに書かれている。読み進めていくとどうしても宗教臭くなる上に、人がどんどん集まってくると、オカルト関係者や新興宗教団体の関係者との関わりも多くなっていき、終いには神示の原文を二束三文で売り渡すといった事態にも発展したようだ。
とにかく「金儲け」の道具にされてしまった過去のある日月神示。宗教や金儲けのダシにされることを神様は特に危惧していたが、結局はそのようになってしまった。
日月神示を学ぶ上で、避けて通れない問題である。多くの関係者が道を外し、発狂してしまった人もいるらしい。
実際、1999年代~2010年頃までは「もう日月神示に書いてあることは嘘だったんだな」という雰囲気が漂っていた。
ノストラダムス予言の1999年には何も起きず、2012年のマヤ預言でもなにも起きず・・・日月神示関係者はいい加減「あぁ、神示は嘘だったんだな・・・」と思っていたのがこの時期だった。
この時期に
第2巻 下つ 2帖 19440713木 第二帖(四四)
今度 岩戸開く御用は、人の五倍も十倍も働く人でないとつとまらんぞ。岩戸開くと申しても、それぞれの岩戸あるぞ、大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸あるから、それぞれ身魂相当の岩戸開いて呉れよ。慾が出ると分らんことに、盲になるから、神、気つけるぞ、神の御用と申して自分の仕事休むやうな心では神の御用にならんぞ、どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分もして下されよ。神は見通しざから、つぎつぎによき様にしてやるから、慾出さず、素直に今の仕事致して居りて呉れよ、その上で神の御用して呉れよ。役員と申しても、それで食ふたり飲んだり暮らしてはならん、それぞれに臣民としての役目あるぞ、役員づらしたら、その日から代りの身魂(もの)出すぞ、鼻ポキンと折れるぞ、神で食うて行くことならんから、呉れ呉れも気をつけて置くぞ。七月の十三日、ひつ九のか三。みなの者 御苦労であったぞ。
→「 人の五倍も十倍も働く人でないとつとまらんぞ 」とあるのは、精を出して働けよって事ではあります。「小人閑居して不善をなす」とはよく言ったもので、 人間、暇になれば悪いことを色々と考え始めるものです。
精一杯働いていると、自然と無我の境地になり、神様に近づいていけるというものではあります。
ただし、筆者のように体が弱い人があまり精を出して働くと倒れてしまいます。えぇ私は頑張りすぎて潰れてしまった過去がありますorz
あまり無理をせず自分なりのペースで頑張ればよいと思います。
第2巻 下つ 3帖 19440713木 第三帖(四五)
この神のまことの姿見せてやる積りでありたが、人に見せると、びっくりして気を失ふもしれんから、石にほらせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、それが神の或る活動の時の姿であるぞ、神の見せ物にしてはならんぞ、お山の骨もその通りぞよ、これまで見せてもまだ分らんか、何もかも神がさしてあるのぞ。心配いらんから慾出さずに、素直に御用きいて下されよ、今度のお山開きまことに結構であるぞ、神が烈しくなると、神の話より出来んことになるぞ、神の話 結構ぞ。七月の十三日、ひつ九のかみ。
→「九折岩」=石にほらせて見せておいた、木の型=都筑太一が拾った龍型の流木
この帖は、当時の役員たちに向けた帖と思われます。
第2巻 下つ 4帖 19440713木 第四帖 (四六)
早く皆のものに知らして呉れよ、神急けるぞ。お山の宮も五十九の岩で作らせておいたのに、まだ気が附かんか、それを見ても神が使ってさして居ること、よく分かるであろうが、それで素直に神の申すこと聞いて呉れて我(が)を出すなと申してゐるのぞ、何事も神にまかせて取越し苦労するなよ、我が無くてもならず、我があってもならず、今度の御用なかなか六ヶ敷いぞ。五十九の石の宮出来たから五十九のイシ身魂いよいよ神が引き寄せるから、しっかりして居りて下されよ。今度の五十九の身魂は御苦労の身魂ぞ。人のようせん辛抱さして、生き変り死に変り修行さして置いた昔からの因縁の身魂のみざから、みごと御用つとめ上げて呉れよ。教会作るでないぞ、信者作るでないぞ、無理に引張るでないぞ。この仕組知らさなならず、知らしてならんし神もなかなかに苦しいぞ、世の元からの仕組ざから、いよいよ岩戸開く時来たぞ。七月の十三日、ひつくのか三。
→この 五十九 の身魂は、岡本天明氏らを筆頭に集まってきた初期メンバーの方々でしょう。
→「お山の宮」=榛名神社?江戸時代には国常立尊・伊弉諾・イザナミが御祭神(岡本天明伝 P168)
第2巻 下つ 5帖 19440715土 第五帖 (四七)
江戸に神と人との集まる宮建てよ、建てると申しても家は型でよいぞ、仮のものざから人の住んでゐる家でよいぞ。 ʘの石まつりて、神人祭りて呉れよ。それが出来たら、そこでお告げ書かすぞ。
→榛名山からの下山後、岡本天明氏らは奥山・中山・一宮と神を祀っていったようだ。
淋しくなった人は集まりて その神示(ふで)見てよ、神示見れば誰でも甦るぞ。この神示うつす役要るぞ、この神示 印刷してはならんぞ。神の民の言葉は神たたえるものと思へ、てんし様たたえるものと思へ、人ほめるものと思へ、それで言霊(ことたま)幸(さき)はふぞ、それが臣民の言葉ぞ。わるき言葉は言ってはならんぞ。言葉はよき事のために神が与へてゐるのざから忘れん様にな。七月の十五日、ひつくのかみのふで。
→「この神示 印刷してはならんぞ」とあるが、2021年11月時点で日月神示は広く印刷され書籍として出回っている。ここでいう「神示」は神示の原文で、岡本天明氏が神がかり状態で自動書記により書かれた日月神示の原文である。◯や数字により書かれたこの書は、ごく一部のみが印刷を許されているらしい。
かつてはこの原文のコピーがまとめられた書籍が出回った事があったらしいが、筆者もこれは入手できていない。残念なことに神示の原点は、盗難などにより殆どが紛失したようだ。
→我々が「日月神示」として読んでいるものは「一二三」なのだ。なので「ひふみ神示」というのが正解なのだろうが、ここは結構曖昧になっている。
筆者が日月神示(ひふみ)を入手したのは1998年頃。この頃は入手が非常に難しく、ごく一部の製本されたひふみの発行元に問い合わせたが「これは一般の人には渡せない」ということで何度も断られた。
が筆者は何度も頼み込んで入手した経緯がある。
私が入手したひふみは 「第23巻 海の巻 19帖」までしか掲載されていないもので、「 ひつ九のʘ神示これまで。 」という語句の場所で終わっている。
筆者の入手したのは海の巻までのもので、昭和19年6月~昭和22年8月までのおよそ3年に降ろされたものだ。これ以降の黄金の巻~については岡本天明氏が「23巻(海の巻)からの枝のようなもの」と書いている
この事を元に、このサイトでは海の巻までを主要な部分として捉えて解説しているのだ。
筆者自身は上つ巻~海の巻までは数十回は読んでいるのだが、黄金の巻以降は実のところあまり読んでいない。
発表されていない残りの13巻はいつか発表されるのでしょうか・・・?
コメント