ここでは、「日月神示を読み始めた」という初心者のための解説をしていきます。
神示は言葉に出して読もう
ひふみ神示 第04巻 天つ巻第十一帖(一一八) この神示 言波としてよみて呉れよ、神々様にもきかせて呉れよ、守護神どのにも聞かして呉れよ、守護神どのの改心まだまだであるぞ、一日が一年になり百年になると目が廻りて真底からの改心でないとお役に立たんことになりて来るぞ。
ひふみ神示 第02巻 下つ巻 第八帖 (五〇) この神示(ふで)皆に読みきかして呉れよ。一人も臣民居らぬ時でも声出して読んで呉れよ、まごころの声で読んで呉れよ、臣民ばかりに聞かすのでないぞ、神々さまにも聞かすのざから、その積りで力ある誠の声で読んで呉れよ。
神示は音読するのと黙読するのとでは、大きな差が出てきます。
黙読は自分自身にしか聞こえないのに対し、音読は自分自身に聞かせるのと、守護霊・守護神様に聞かせる効果があるためです。
これは私の感覚なのですが、音読を続けていると様々な神霊が近寄ってくるため、音読を続けると天の守護がより強力になります。
神示が心に響くなら縁がある
第二帖 (三六七)よい御用いたす身霊(みたま)ほど苦労さしてあるのぢゃ。他から見ては、わからんなれど、苦労に苦労さして、生き変り、死に変り、鍛へに鍛へてあるのぢゃぞ。肉体の苦労も霊の苦労も、どちらの苦労にも、まけん人民臣民でないと、眼先のことで、グレングレンと引繰りかへりて、あわてふためく様なことでは、どんな事あっても、びくともせん、ミタマでないと、御用六ヶ敷いぞ。
ひふみ神示 第06巻 日月の巻 第三十六帖 (二〇九) 此の神示は世に出てゐる人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂いと云はれ、阿呆と謂はれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けんぞ。解いてよく噛み砕いて世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ。苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心高いぞ。十一月十九日、一二 。
神示読んで、その一言一言が心に響くなら、それは縁がある証拠です。なぜなら神示は、苦労してきた人・世間から排斥されてきた人・人より劣っている人の心に響くように書いてあるからです。「学や知恵ではわからん」と繰り返し書かれているように、この神示が心に響く人は、縁があるんですね。
音読して、涙が出てくるようなら、それは縁があるのです。
この道に入ると初めは不幸になる
神示の音読を初め、自身の魂が清まり始めると同時に、自身が過去生で積んできたカルマと、これから積むであろうカルマの「借銭無し」が始まり、不幸事が一度に出てきます。
ひふみ神示 第15巻 第七帖 (三七二) この神の許へ来て信心さへして居たらよい事ある様に思ふてゐるが、大間違ひざぞ。この方の許へ参りて先づ借銭なしに借銭払ひして下されよ。苦しいこと出来て来るのが御神徳ぞ。この方の許へ来て悪くなったと云ふ人民 遠慮いらん、帰りて呉れよ。そんな軽い信心は信心ではないぞ。結構な苦しみがわからん臣民一人も要らんのぞ。しかと褌締めてついて御座れよ。此の方 悪神とも見えると申してあらうがな。わかりてもわからん、出来ん事致さすぞ、神が使ふのざから楽でもあるのざぞ。静かに神示よく肚に入れて御用して下されよ。
これは私の経験ですが、神示を読み始めて数年程経過した頃、仕事の10億円ほどの設備導入のトラブルに巻き込まれて、一日20時間勤務が頻発する状態を一年ほど経験することになりました。当然、体も頭もボロボロ。その果てに親友の死、上司が自殺、姉の離婚、親しい業者さんが目の前でなくなる、親しかった別部署の親方が労災で壮絶な死を遂げる・・・と、この世の地獄か?と思えるほどの事が、ほんの1、2年に立て続けに起き、発狂してしまいました。
この頃に受けた心の傷は凄まじく、重度の鬱病を患い、私は退職しています。
しかし、これだけの不幸事が一度に出てきたのも、神様のお陰なのです。なぜなら、これから来るであろう大峠の際に、このような不幸が襲ってきたら、ほとんどの人は耐えられないからですね。
慢心・取り違いに注意する
ひふみ神示 第20巻 梅の巻 第十帖 慢心取違ひ疑ひと、我(が)が此の道の大き邪魔となるぞ、くどい様なれど繰り返し繰り返し気付けおくぞ。
この道に入ると、慢心と取り違いが問題になってくると書かれています。
下記に「ダニングクルーガー効果」に関して紹介します。どの分野でもそうですが、素人が少し勉強したくらいの時期が一番慢心しやすい。これは神示にもいえることで、読み始めて数ヶ月頃が一番怖い。
音読をして数ヶ月も経つと、幻聴や幻覚が見え始める事があります。平時に神示の言葉が頭に響き、「自分も自動書記をやってみよう」みたいな風に思い始めることもあるでしょう。
この頃は特に危険で、その慢心により道を外れ、帰ってこれない人たちが沢山でました。
第十一帖 (二二四) 誠の益人作るのぞ、此んな事申さんでもやらねばならぬ事ざぞ、神は一人でも多く救ひ度さに夜も昼も総活動してゐる事 会得るであろがな、神かかれる人 早う作るのぞ、身魂せんだくするぞ、神かかりと申しても狐憑きや天狗憑きや行者の様な神憑りでないぞ、誠の神憑りであるぞ、役員 早う取りかかり呉れよ。十二月十一日、一二 。
「おまえは救世主だ」とか「天照大神様の声が聞こえる」とか「国常立大神様が憑依している」とか「お前が神示の続編を書くんだ」・・そういう類の言葉が頭に響くことがあるかもしれませんが、そういった低級霊の言葉に騙されると、大きく道を外れるので注意してください。
いわゆる「狐憑き」「天狗憑き」の状態にならないように、本当に注意してください(帰ってこれなくなります)
本当に神がかった人は普通の人にしか見えない
神示でいう「誠の神がかり」状態になった人は、普通の人にしか見えません。この状態こそ私達が目指すべき状態です。
ひふみ神示 第02巻 下つ巻第九帖 (八九) しかし今の臣民のやうな腐った臣民ではないぞ、いつも神かかりてゐる臣民ぞ、神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、それが人間の誠の姿ぞ。
ひふみ神示 第09巻 キの巻 第十帖 (二六七) 坊主 坊主くさくてはならんぞ。
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