日月神示と実践法

日月神示と礼拝

日月神示と実践法

礼拝とは

朝、起きた際に行う「朝の礼拝」
夕、寝る前に行う「夜の礼拝」
神示には各所に礼拝の仕方が書かれており、その時、その時節に応じて礼拝の仕方を変えなければならないようです。が、私はよくわかりませんでしたので、下記の流れに準じて行っていました。
手法については神示の通りですが、一応まとめておきます。

:行動 :唱える :祈る

・2回、頭を下げる
・8回、拍手

・ひとふたみよいつむゆななやここのたり 1回唱える
・ひふみ祝詞 3回唱える・ 一二三四五六七八九十 (ひとふたみよいつむゆななやここのたり)
・ 一二三四五六七八九十百千卍 (ひとふたみよいつむゆななやここのたり ももちよろず)

・ 天(アメ)の日月の大神様 弥栄ましませ弥栄ましませ
・ 九二(くに)のひつくの神様 弥栄ましませ弥栄ましませ

・8回、拍手

・ 雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、百々(もも)の神様、世の元からの生神様、産土(うぶすな)の神様に御礼
(神々様へのお礼:後述)

・神の気を頂く
(神の気の頂き方後述)

ひふみ神示 第13巻 雨の巻  第十七帖 (三五一)
 礼拝の仕方 書き知らすぞ、節分から始めて下されよ、先づキ整へて暫し目つむり心開きて一拝二拝八拍手せよ、又キ整へて一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたり)と言(こと)高くのれよ、又キ整へてひふみ三回のれよ、これはこれは喜びの舞、清めの舞、祓の歌であるぞ。世界の臣民 皆のれよ、身も魂も一つになって、のり歌ひ舞へよ、身魂(みたま)全体で拍手するのざぞ、終って又キ整へて一二三四五六七八九十、一二三四五六七八九十百千卍(ももちよろず)と言(こと)高くのれよ、神気整へて天(アメ)の日月の大神様 弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、これは祈るのざぞ、九二(くに)のひつくの神様 弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、終りて八拍手せよ、次に雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、百々(もも)の神様、世の元からの生神様、産土(うぶすな)の神様に御礼申せよ、終りてから神々様のキ頂けよ、キの頂き方 前に知らしてあろがな、何よりの臣民人民の生(いき)の命の糧(かて)であるぞ、病なくなる元の元のキであるぞ、八度繰り返せと申してあろ、暫くこのやうに拝めよ、神代になる迄にはまだ進むのざぞ、それまではその様にせよ

ひふみ祝詞

ひふみ よいむなや こともちろらね 
しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか 
 うおえ にさりへて のますあせゑほれけ

ひふみ神示 第02巻  下つ巻   第七帖 (四九)
一二三祝詞(ひふみのりと)するときは、神の息に合はして宣(の)れよ、神の息に合はすのは三五七、三五七に切って宣れよ。しまひだけ節(ふし)長くよめよ、それを三たびよみて宣りあげよ。天津祝詞の神ともこの方申すぞ。

神々様へのお礼

ひふみ神示 第19巻 マツリの巻 第二十帖 神々様の大前に申し上げます。此の度の岩戸開きの御神業に尚一層の御活動願ひ上げます。大神様の大御心と御心併せなされ、いと高き神の能(はたらき)願ひ上げます。世界の民等が日々犯しました罪、穢、過(あやまち)は、何卒 神直日大直日に見直し聞き直し下さいまして、此の上ながらの御守護願ひ上げます。これは神々様への誓であるぞ。八月二十九日、ひつぐの神。

神の気の頂き方

ひふみ神示 第13巻 雨の巻  第十五帖 (三四九)
神前に向って大きくキを吸ひ肚に入れて下座に向って吐き出せよ、八度繰り返せよ、神のキ頂くのざぞ、キとミとのあいの霊気頂くのざぞ。

  第二十九帖(一三六)
 お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ、足からお土の息がはいるのざぞ、臍(へそ)の緒の様なものざぞよ、一人前になりたら臍の緒切り、社(やしろ)に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上 堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも裸足(はだし)でお土踏まなならんことになるのぞ、神の深い仕組ざから あり難い仕組ざから 喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。

礼拝後

私は習慣として、下記の神示の通りに脈を測っていました。

・左手の手首の脈を、右手の親指で測る
・この状態を維持し、臍の脈を左手で測る
・脈が同期していたらOK。していない場合は、他の場所も測る。一二三祝詞を唱える、神気を頂くなどして合わせる。

※経験上、ごくまれに脈が動悸していない時があります(不思議です)
深呼吸などしていると脈が落ち着いてきます。

ひふみ神示 第07巻 日の出の巻 第十五帖 (二二八)
 病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかで分ると申してあろがな。届くとは注(そそ)ぐ事ぞ、手首と息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と臍の息と脊首(せくび)の息と手の息と八所十所の息合ってゐれば病無いのざぞ、災難見ないのざから、毎朝 神拝みてから克く合はしてみよ、合ってゐたら其日には災難無いのざぞ、殊に臍の息一番大切ざぞ、若しも息合ってゐない時には一二三(ひふみ)唱へよ、唱へ唱へて息合ふ迄 祷(ゐの)れよ、何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、此の方 意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)であるぞ。神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、

コメント

  1. ヒコイチ より:

    たぶん間違ってますよ
    そをたはめくか→ そをたはくめか

  2. mimi より:

    初めまして。私も礼拝の仕方が分からず、こちらの記事を参考にさせてもらっていますが、神棚は設置していますか?

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