日月神示の解説

日月神示とコロナウイルスと今後の食糧危機と食べ物について

日月神示の解説

食糧危機の警告

日月神示では「世界的な食糧危機が来る」と警告しています。

ひふみ神示 第14巻 風の巻 第十一帖 (三六二)
 日本の国に食物なくなってしまふぞ。世界中に食べ物なくなってしまふぞ。何も人民の心からぞ。食物無くなっても食物あるぞ、神の臣民、人民 心配ないぞ、とも食ひならんのざぞ。心得よ。二月十六日、ひつ九のか三。

2019年までは世界的な貿易が正常に機能しており、食べ物の流通に関してもそれほど大きな問題は起きませんでした。しかし2020年になり、コロナのパンデミックが起き、それに伴い世界的な恐慌クラスのショックが起きて、世界中で食料品の買い占めが起きました。

こういう危機的な状況になってくると、もはや「俺は肉を食べれないから」とか「食品添加物が入ってるものは食べないから」といったふうに、選り好みをしていられる状況ではなくなります。
が、 とも食ひならんのざぞ。 とあるように、肉食は極力避けること。日本人の本来の食べ物は五穀野菜の類だと明確に書いてあります。共食いとは人間と近い哺乳類(四つ足の動物)の事を意味するのと、そのまま人間同士の食い合いを意味する説があります。

ひふみ神示 第20巻 梅の巻第十四帖 ひふみ神示 第20巻 梅の巻 
日本には五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆人民の食ひて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、日本人には肉類禁物ぢゃぞ。今に食物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ、今度は共喰となるから、共喰ならんから、今から心鍛へて食物大切にせよ、

2022年3月現在 ロシアのウクライナ侵攻が始まってから、それまでじわじわと上昇しつつ小麦などの価格が跳ね上がった。

食料についてかつて起きたこと

第3巻 普字 20帖 19440827日 第二十帖 (一〇〇)
今のうちに草木の根や葉を日に干して貯へておけよ、保持(うけもち)の神様お怒りざから、九十四は五分位しか食べ物とれんから、その積りで用意して置いて呉れよ。神は気もない時から知らして置くから、この神示よく読んで居れよ。一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな、米ばかりでないぞ、何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ

1993年米騒動 - Wikipedia

1993~1994年の平成米騒動を予言したとされる帖。

食べ物の争奪戦が始まる

第4巻 天つ 5帖 19440831木 第五帖 (一一二)
牛の喰べ物たべると牛の様になるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ。臣民の喰べ物は定まってゐるのざぞ、いよいよとなりて何でも喰べねばならぬやうになりたら虎は虎となるぞ、獣と神とが分れると申してあろがな、縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ、世界の臣民に知らせてやれよ

→食糧危機が進みどんな食べ物でも食べなければならないような状況になった時、人々の本性が顕になるという感じでしょう。

人間は腹が減ったときにその人の本質が一番現れるものですから・・・世界的な食糧危機となったら、どのようになってしまうのか。想像しただけで恐ろしいですね。

日月神示と食べ物

日本人は菜食が原則

日月神示では繰り返し「五穀野菜の類が日本人が食べて良いもの。動物食は禁物」と解いています。

ひふみ神示 第21巻 空の巻  第十二帖
日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食物あるぞ、人民の食物 間違へるでないぞ、食い過ぎるから足らんことになるのざぞ、いくら大切な、因縁の臣民でも仕組の邪魔になると取り替へるぞ、慢心取違ひ致すなよ、代へ身魂いくらでもあるぞ。

→人民の食べ物間違えるな、というのは、

ひふみ神示 第21巻 空の巻 第十四帖 
日本には五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆人民の食ひて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、日本人には肉類禁物ぢゃぞ

→肉類が禁物、ということですね。

五十黙示録 第02巻 碧玉の巻 第八帖 
四ツ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生れると申してあろう、神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)であるぞ。

→肉類、という指定の中でも特に「四足」肉は禁物だとのこと。
また、食に関しては下の帖できちんとまとめられていますね。

第30巻 冬 補 19520609月 補帖  
食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。口から出るもの、入るもの気つけよ。いくさ起るのぢゃ。人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢゃぞ。 

→また食べ過ぎるのはNGだと書いていますね。一日2食が原則なのですが、腹いっぱい以上食べていたらお相撲さんの食事になってしまいます。お相撲さんの平均寿命が短いことから考えても、不健康極まりないですよね。

一椀をとって先づ神に供へよ。親にささげよ。子にささげよ。腹八分の二分はささげよ。食物こそは神から、親から与へられたものであるぞ。神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくのも食物つつしめばよい。言つつしめばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。 ささげるからこそ頂けるのぢゃ。頂けたらささげると今の人民申してゐるが、それがウラハラと申すもの。衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。あづけられてゐるのであるぞ。人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあらうが。

→私は原則一日2食ですが食べる前に神様に対して「どうかこの食べ物たちが我が体にまつらいますようによろしくお願いします」と心のなかで祈り、その後、朝は日の 大 日月の神様、夕は月の日月の大神様にお捧げしています。

いつ頃からこのやり方になったのか、自分でもよく覚えていないのですが、色々と試行錯誤した結果こうなりました。多分、神示のどこかを引用したと思うのですが・・・。

遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。そんなこと位で、病治ったり、運ひらける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。理屈すてよ。すててやって見なされ。

→ヒフミの食べ方というのは、「ひふみよいむなや~」と唱えて食べることですね。

第7巻 日出 8帖 19441207木 第八帖 (二二一)
一二三(ひふみ)の食物(たべもの)に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱(十七)へながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方頂き方ざぞ。神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ

→また、「遠くて近いもの」というのは「人間という動物から遠いもの」で「自分が生まれた地から近いもの」を食べろということです。

人肉>豚>牛馬羊>鳥>魚>五穀野菜海藻

という順番で、人間から遠ざかっていくことになります。なので最良のものは五穀野菜海藻。
けれども日月神示を読み始めた人がいきなり完全菜食にするというのは、かなり無理がありますので、魚や鳥はとりあえずOKって感じで初めて、徐々に鳥をやめ、魚をやめ・・・と段階を踏んでいくのも良いでしょう。

近いものに関してはそのままで、輸入食品は控えたほうがよいということです。日本国内、それも自分の生まれた県のものが良く、有機野菜ならなお良い。
最も良いのは自分が育てたものを食べること。

また、私はこれに「神食」というのを追加しています。

人肉>豚>牛馬羊>鳥>魚>五穀野菜海藻 >神食

神食とは霊山で自生している五穀ですね。汚染されていない霊山で採れた作物は最も神気が満ちており、少しの量で神気を回復できると考えます。
「今の日本は足の踏み場もない程汚れている」と神示に書かれている通り、汚染された土壌で育った食べ物は、霊気を回復するのに役立たないという考え方です。

霊人の食べ方

我々地上人は守護霊がそれぞれついているとされています。また、亡くなった方は霊界におり、それぞれの魂の波長に沿った世界で住んでいるといいます。

そんな霊人達の食べ方というのは、我々が最終的に目指さなければならない食べ方だと、私は感じています。

第17巻 二日ん 15帖 19451015月 第十五帖 (三九二)
霊人はまた、いろいろな食物を食している。云う迄もなく霊人の食物であるが、これまたその霊人の状態によって千変万化するが、要するに歓喜を食べているのである。食べられる霊食そのものも、食べる霊人も何れも、食べると云うことによって歓喜しているのである。地上人の場合は、物質を口より食べるのであるが、霊人は口のみでなく、目からも、鼻からも、耳からも、皮膚からも、手からも、足からも、食物を身体全体から食べるものである。そして、食べると云うことは、霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となることである。霊人から見れば、食物を自分自身たる霊人の一部とするのであるが、食物から見れば霊人を食物としての歓喜の中に引き入れることとなるのである。これらの行為は、本質的には、地上人と相通ずる食物であり、食べ方ではあるが、その歓喜の度合および表現には大きな差がある。食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、神から神を与えられるのである。以上の如くであるから、他から霊人の食べるのを見ていると、食べているのか、食べられているのか判らない程である。

→私がこの「歓喜を食べる」という心境に私が至ったのは、霊山で拾ったケンポナシという特殊な果実をかじった時でした。
非常に香り高く、強烈な甘みのある不思議な果実ですが、その身を食べた瞬間、感謝と歓喜が湧き出したものです。

筆者も人間ですから魂の波長が下がれば霊眼(第3の目・サードアイ)は閉じますし、平時は閉じていることも多いわけですが、この身を食べた時にはっきりと 霊眼 が開いた感覚を得たことからも、上で述べた「神食」という概念を追加した訳です。

また霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠くはなれたものを好む。現実社会に於ける、山菜、果物、海草等に相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない。何故ならば、性の遠くはなれた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、返って不快となるからである。そして霊人は、これらの食物を歓喜によって調理している。そしてまた与えられた総ての食物は、悉く食べて一物をも残さないのである。

→上で書かれていた「遠くて近い」ものの「遠くて」は上の文で説明があります。
肉食をするということは動物が殺される際の悲しみが「人間に対する憎しみ」として肉に染み付いており、その恐怖を食べることになります。
味は格別かもしれませんが、恐怖と憎しみを食べるため、我々の魂に対して強い悪影響が出ます。

特に、胸のチャクラである第4チャクラを開くのに大きな障害となるのが、この肉食だと感じています。胸のチャクラはを象徴するものですが、動物を殺して食べたという行為は最も愛から離れる行為だからですね。

最終的に第6チャクラ(サードアイ)と第7チャクラ(頭頂部)を開くためには愛が必須ですが、肉食をしているあなたがいくら「この世界を平和にしたい、愛で世界を満たしたい」と強く願っても、肉食をしている限りあなたの願いは嘘になってしまう。

そのため、ここが引っかかって第6、第7チャクラが開かなくなるという訳です。

筆者の体験

みなみな気つかん理(ミチ)、気つかん病になってゐるぞ。ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。先づ百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし。病もなくなってうれしうれしとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。

私は長年完全な菜食を貫いてきたわけではない(魚は食べていた)ので、えらそうなことは言えませんが、平時から肉食をしてきた人が、いきなり五穀野菜の生活にするのは無理があります。

私は20歳の頃に菜食へと移行すべく肉食(四つ足)食を断ちました。が、その際には強い飢餓感に襲われ、落ち着くのに1ヶ月ほどかかりました。
まるでお腹の中が引っ掻き回されるような感覚で、文字通りのたうち回っていたんですね。

腸内の細菌のバランスが肉食前提でとられていた所から、菜食中心へと移行すれば、腸内細菌のバランスが崩れてしまい、体調不良の原因となるのです。

第11巻 松 7帖 19450623土 第七帖 (二九八)
腹の中のゴモク一度に引張り出してもならぬし、出さねば間に合わんし、いよいよ荒事にかかるから そのつもりで覚悟よいか。

→腹の中のゴモクというのは、腹の中に溜まった色々な悪いもの、ということのようです。私の場合は元々、幼少期から人の声が頭に響くいわゆる統合失調症の症状があり非常に悩んでいたのですが、肉食を断った頃から頭に響く声が消えていきました。

今現在はほぼ肉食(魚・鳥含む)を口にしなくて良い状態になりました。まれに卵や乳製品は摂りますが。これも、もう必要ない気がします。

私の経験からも、食糧危機が起き、世の中が押し迫ってきてから「すいません!今日から菜食にしますから!」と言っても、なかなか難しいんです。
なので平時から肉食の量をすこしずつ減らしていって、菜食でも体に必要な栄養が採れるような体作りをしていくことが重要なのですね。

まとめ:あまり無理をせずに

食に関しては完全菜食を徹底するのが最良の方法です。

ただし、現在の日本で完全な菜食を目指すのは、実を言うと非常に困難です。あらゆるものにゼラチン(豚)が混入されており、それを避けるのがかなり困難であるためですね。

特にカップラーメンはほぼすべてゼラチンが混入。どんべぇの天ぷらそばだけは入っていないですが、えび・魚エキスは入っているので難しい所。また最近のコンビニで「温めるとゼリー状のタレが汁になって食べれる」系のそば・うどん・ラーメン類もすべてゼラチンが入っているからNG。

コンビニで食べられるのは梅のおにぎりくらい?なかなかに辛いのが現状です。

筆者のように一日2食で菜食をしていると、徐々に食に対する欲求が減っていきます。まぁ菜食ってのは基本的にあまり美味しくないからですね。

ただこの食を律していくことで食事量も減っていき自然と痩せていくので、他人よりは食べ物を多く必要なくなります。

こうなると食糧危機が来ても食べ物を多く必要としない体質になっているため、結構耐えられると思いますよ。

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