33帖 19440702日 第三十三帖 (三三)
神の用意は済んでゐるのざから、民の用意 早うして呉れよ、用意して早う祀りて呉れよ。富士は晴れたり日本晴れと申すこと、だんだん分りて来るぞ。
→元々、大本の 「雛形」と「経綸」により により日本が戦時~高度経済成長期~といった一連の歴史を歩む形は、既に出されている。第一次大本事件により日本の第二次大戦および敗戦の形が出され、その後の急激な大本の復興と世界的な活動はまさに日本の高度経済成長期による復興と世界的活躍を表していた。
その後、「第二次大本事件」の雛形が現実に現れていない事からも、既に「大峠」に向けた大本の雛形による神の用意は済んだのだ。
前の帖でも述べたのだが、日月神示は「オホカムツミノカミ」の現れであり、イザナギ・イザナミの岩戸閉めでイザナギが黄泉の追手を払うために放った「桃の実」こそが、日月神示の現れであった。
とあるように、神としての建て替え・立て直しの用意はすでにできているが、残された日本人が一人も生き残らないではどうしようもないので、国常立大神様は日月神示(桃の実)を降ろし、人間へと救いの手を差し伸べたのだ。
→日月神示には「百年もつづけて嘘はいえんぞ」とありますが、この百年とはなんでしょうか。
ここでいう百年は黒住・天理・金光といった一連の神仕組の流れを端的に表している言葉で、時期的に天理教の誕生の時期からという事になりますね。
100年も前から神が表に現れる仕組みを進めており、大本教の出口王仁三郎聖師の死去のタイミングで大本の建て替え・立て直しの形(神の準備)は完了したと、私は考察しています。
ここで年号に注目してほしいのが、天理教の中山みき氏に親神様がかかられたタイミングだ
親神様がかかられたのが1838年12月9日で、「百年も続けて」の下りは1949年12月7日。ほぼ111年の差である。
「百年も続けて」ならば1938年に書かれるべき言葉のはずなのに、あえて1949年の12月7日という「111年」のズレのタイミングで「百年も続けて」と書いている。これは111年ー100年=11年の遅れがあるということを、分かる人にはわかるように示しておいたのではないか。
この11年というのは、令和人類である我々にとってはどうしても「2011年3月11日」の巨大地震が頭をよぎる。
神の名のついた石があるぞ、その石、役員に分けてそれぞれに守護の神つけるぞ、神の石はお山にあるから、お山開いて呉れよ。ひつぐの民、みつぐの民、早う用意して呉れよ、神急けるぞ。七月二日、ひつくのか三。
→日月神示が降ろされた当時、関係者によって日本全国各地から綺麗な石が集められたようだ。
→この道に縁のある我々は、富士から流れ出た川に石を拾いに行ってみよう。筆者も19歳くらいの頃に富士山の麓の川で石を一個拾ってきている。
「神の名のついた石」とあるのがどういうものか定かではないが、ʘが神を表すことを考えると、よく磨かれた丸い石の中央に丶がある石なのだろう。
筆者は適当な🌋火山の噴石を拾ってきてしまっているので、どこかで改めて拾いに行かなければならないかなぁと思いながら20年が経過してしまった。
34帖 19440702日 第三十四帖 (三四)
何事も天地に二度とないことで、やり損ひしてならん多陀用幣流天地(たたよへるくに)の修理固成(かため)の終りの四あけであるから、これが一番大切の役であるから、しくじられんから、神がくどう申してゐるのざ、
→以前も書きましたが、大本教の神である国常立大神様は国土の神様であり、地球の神様でもあります。元々世界の五代州大陸は数億年前はパンゲア大陸という一つの大陸でしたが、大きな地殻変動により大地は避け、別々の大陸へと散り散りになっていきました。
これが上に書いてある「漂える国」という意味と思います。
これを「かための終わり」とあることからも、この大陸自体をまた一つに取りまとめ、以降は万年動かない世にするのでしょう。
→「どこからでも拝める」とあるように、 神国日本を中心に 大陸は一箇所にまとまり、どの方向からでも日本を拝めるようになる。ということは「富士は人が登れんようになる」という記載からも、非常に高い高度(1万メートルクラス?)の山になり、この富士の麓に新しい神国日本ができる、という感じになるのでしょう。
筆者は幼少期に「広大な草原の中、白く光る布を着て天を眺めており、その視線の先には非常に高い山があった。その時体中を感動が包んでいた」という夢を3回ほど見せられています。
この夢から覚めた時、確か小学2~3年生だった私は感動のあまり「あの世界に行きたい」とむせび泣いていました。小学生がですよ?おかしいですよね(笑)
当時は全くわからなかったこの夢ですが、今はもう「弥勒の世に立たされた瞬間」だと確信しています。
神々さま、臣民みなきいて呉れよ。一二三(ひふみ)の御用出来たら三四五(みよいつ)の御用にかからなならんから、早う一二三の御用して呉れよ。何も心配ないから神の仕事をして呉れよ、神の仕事して居れば、どこにゐても、いざといふ時には、神がつまみ上げて助けてやるから、御用第一ぞ。
→筆者は元々関東地方の都心で仕事をしていました。けれども仕事でうまく行かずパワハラめいたコトで仕方なく会社をやめました。
その後、山中で一人ひっそりと仕事をするようになったのですが、直後コロナウイルスが蔓延しはじめ「あぁ、人と接点が殆どないいまの仕事でなければ、どうなっていたか・・・」と思いました。
今の場所は津波の心配もまったくなく、人と接点がほぼないので病気の心配もないのでワクチンを打つ必要もなく、これは「神様につまみ上げて助けられたんだなぁ」と確信しています。
日月神示を真剣に読んでいるとこういう事がかなり多くなってきます。悪いことが身の上に生じた時、そのときはとても嫌な気分になるのですが、後から考え直すと「あのタイミングであの悪い出来事が起きていなかったら結果的に自分は不幸になっていたな」というケースが多々あります。
なので最近は悪いことが起きたときに「神様の意図」というのを考えるようにしています。
一日(ひとひ)に十万の人死ぬ時来たぞ、世界中のことざから、気を大きく持ちてゐて呉れよ。七月の三日、ひつくのか三。
→ここで初めて「一日に十万の人が死ぬ時」という記載が出ました。これは自然死の人数を意味しているのではなく、筆者的にはコロナでの世界での死者数が十万を超え始めたら、いよいよ大峠のクライマックスに入るという風に捉えています。
35帖 19440707金 第三十五帖 (三五)
死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。神のまにまに神の御用して呉れよ、殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにゐても生かさなならんぞ。
→どれだけ備蓄品を買いためたり、強固なシェルターを作ったりして備えても、身魂が汚れている人は次の世に置いてはおけんということですね。
かの有名なビル・ゲイツ氏は軽井沢に大規模な地下シェルターを作っていると噂されていますね。
まだまだ悪魔はえらい仕組してゐるぞ、神の国千切りと申してあるが、喩(たと)へではないぞ、いよいよとなりたら神が神力出して上下引っくり返して神代に致すぞ、とはの神代に致すぞ。細かく説いてやりたいなれど、細かく説かねば分らん様では神国(しんこく)の民とは云はれんぞ。外国人には細かく説かねば分らんが、神の臣民には説かいでも分る身魂授けてあるぞ、それで身魂みがいて呉れと申してあるのぞ。それとも外国人並にして欲しいのか、曇りたと申してもあまりぞ。何も心配いらんから、お山開いて呉れよ、江戸が火となるぞ、神急けるぞ。七月の七日、ひつくのか三。
→シオン長老の議定書が流出したのが1917年頃。あれから100年もの時間が経過し、裏で世界を金で牛耳っているグローバリスト達の思惑通りの世の中になってきました。
議定書をよく読むとわかるのですが、彼ら世界征服を企む側にとって最も邪魔なのが「独裁政権」です。要するに強力なリーダーの判断により国全体を動かしていく勢力は、彼らの活動を邪魔する可能性が高いと判断していたわけです。
第二次大戦の際、ドイツ(ナチス)・イタリア(王室)・日本(皇室)という強力なリーダーの存在があった3つの国は、裏の勢力にとって最も邪魔な存在でした。実を言うとあの大戦というのは「独裁政権vs裏勢力」という構図だったのです。
結果としては独裁政権側は崩壊し、ナチスは解体、イタリア王室も解体、日本も事実上天皇から政治家へと主導権が移ってしまいました。第二次大戦終了の時点で、もはや彼ら闇の勢力に国という単位で抵抗できる勢力は消失してしまったわけです。
1950年の神示が降ろされた時点で、「 悪魔のえらい仕組 」は90%は出来上がっている訳です。それから70年という時間が経過し、既にこの世を支配している裏の勢力による支配は99%まで行きました。あとは国常立大神様のお体である「日本」と天照大神様のご血統の「日本人」という邪魔な勢力を、全世界の武力で押しつぶして天下を取るだけ、という状態まで来たわけです。
彼らにとって一番の恐怖は、我々日本人が元の霊性を発揮してしまう事です。いわゆる「大和魂」ですが、それは第二次大戦中にあったような大和魂ではなく、真の意味での「大和魂」です。
この霊性発揮については日月神示に繰り返し書かれている身魂磨きの果に手に入れられるもので、これが発動するのはおそらく「富士が動く」タイミングですね。
筆者が幼少期に繰り返し見せられた夢ですが、
という夢があります。筆者的には小学校中学年頃にみたこの夢は「一厘の仕組」が発動したタイミングだと確信しているので、おそらく真の大和魂が発動するのは最後の最後のタイミングだと思っています。
このときのために、我々は霊性を研いておかねばならないわけですね。
36帖 19440709日 第三十六帖 (三六)
元の神代に返すといふのは、たとへでないぞ。穴の中に住まなならんこと出来るぞ、生(なま)の物食うて暮らさなならんし、臣民 取り違ひばかりしてゐるぞ、何もかも一旦は天地へお引き上げぞ、われの慾ばかり言ってゐると大変が出来るぞ。七月の九日、ひつくのか三。
→今の世の中の人の99%は科学技術がこのまま発展し、テクノロジー主体の世の中になっていくという予想を抱いている人がほとんどでしょう。
が、工業化が飛躍的に進んだのは産業革命以降の百数十年程で、人類の長い歴史を見ればごくごく短い期間。人類の歴史を見れば穴の中に住んでいた期間や生のものを食べていた期間の方が断然長い訳で、日月神示にある「三千年の昔に返すぞ」というのは、その頃の時代のやり方に返す、ということになりますね。
先進国で大量生産されたビニール・プラスチックや処理が難しい電子基板などは、途上国に処理を押し付け、自分たちは大量の金を使っていいクルマや女と夜遊び。物を使い捨てにするようなやり方が間違っているのは、生まれたときからこの”便利な”社会にいた私達の目から見ても、間違っているのは明白ですね。
37帖 第三十七帖 (三七)
人の上の人、みな臭い飯食ふこと出来るから、今から知らして置くから気をつけて呉れよ。
→1944年時点で日本が敗戦し、日本軍部の上層部が犯罪者として裁かれる東京裁判を予言していたとされる帖。
「同じこと二度繰り返す仕組」とあるように、同じようなことがこれからの日本にも起きると予想されていますが、二度目である今度は更に酷いことになることが予想されています。それこそ東京軍事裁判とは比にならないレベルの事が。
これから起こることは、上の帖に書いてあるように、目を覆うような光景が日本国内で繰り広げられるでしょう。
日本の太平洋戦争~敗戦までの流れは、第一次大本事件の始まりと終わりにより形をだされているわけです。この時取り締まりを受けた大本の関係者ですが、その時のお咎めはそれほどでもなかった。
第一次大本事件~第二次大本事件の間は、日本で言えば敗戦~高度成長期の形とされており、日本の飛躍的な活躍は、第一次大本事件後の大本の世界規模の活躍に形が出されている。
しかし第二次大本事件では1500発ものダイナマイトにより大本の神殿が徹底的に破壊され、貴重な書物類も焼かれ、関係者の自殺も多発し、気の狂ってしまった関係者も出るなど、凄まじい状況であった。
「 人の上の人、みな臭い飯食ふこと出来る 」というのは、今後の日本の政治家達が味わうことになるかもしれない。が、大本が解体されて散っていった多くの信者たちはどうなったのか・・・。
お宮も一時は無くなる様になるから、その時は、みがけた人が神のお宮ぞ。早う身魂みがいておけよ、お宮まで外国のアクに壊されるやうになるぞ。早くせねば間に合わんことぞ、ひつくのか三。
→お宮が無くなるというのは、上で書いた第二次大本事件での大本の神殿がダイナマイト爆破により土に帰したことの形が、今後日本へ起きてくるということを表す。
この「雛形」が日本にあらわれてくるのは、これからだ・・・。
日本でいえば伊勢神宮などの各地の神社は徹底的に破壊され、東京や大阪などの大都市は爆撃や原爆により焼かれ・・・といった事態が起きてくることを、日月神示では示唆している。
「しめ縄」で神様が外にでてこられないようにしめられている現在の神社の状態といえども、神々様の神気は日本へと漏れ出していたが、神社が破壊されることで神様の力が完全に封印されてしまうような時が来るということになる。
こうなったとき、日月神示でいう「身魂磨き」がされている人が、神気を世に表す役目となるのだろう。日本人が元の大和魂を発揮する状態がこれだろう。
これこそが、世界を牛耳っている悪の勢力の最も恐れる事だ。
→上の帖にあるように、一厘の仕組が発動したときに「神かかれる人」は身魂の掃除洗濯が済んでいる人だ。
日月神示にある道を貫こうとするとまず最大の障害になるのが「食」だ。
日月神示では完全菜食こそが本当の日本人の食事だと説く。要するに四足といわれる牛・馬・豚といった動物類の肉食を完全に断ち、魚や鳥類も断ち、菜食のみでの生活を行おうとする必要がある。
が、完全菜食を貫こうとすると絶望するのが、「殆どの食品になんらかの形で肉のエキスが入っている」ということだ。パッケージでは「野菜カレー」や「野菜スープ」という名目で売っている製品でも、成分欄を見ると「ポークエキス」「一部に魚類・鳥を含む」といった記載がある。
ごくごく限られた一部の製品が大丈夫なだけで、スーパーなどで売っている製品の99%はなんらかの形で動物性のものが入っている。
これは日本人の霊性を肉体面から下げてしまい、神がかり状態になれる日本人の数を徹底的に減らしてしまおうという悪の仕組の一貫なのだろう。
また、外食は自分で食事を選択できる場合もあるが、多くの場合はやはり肉系のエキスが混入している場合も多く、事実上外食が難しくなっている。
ただ肉食をすると確実に神に嫌われるため、よほどの覚悟がある人は今日にでも肉食断ちをしたほうがいい。一度汚れた体は浄化するのに年単位の時間が必要とされる。
コメント
半年の間菜食を貫きましたが、昨晩魚を食べてしまいました。
魚を食べることにより霊性が落ちるとは知りませんでした。
魚はよほどのことがない限り頂きません。
終わりました。すべてが。
今からでも菜食を続ければ大峠までに間に合いますか?
それといつもブログを読まさせて頂いております。
凄く感謝しています。
繰り替えし読んでおります。
ありがとう御座います。
人間から遠いものを食べるのが良く、
四足(牛・馬・豚等)>鶏>魚>五穀野菜
で魚は人からかなり遠い位置にあるものですので、あまり深刻に考えなくてよいと思いますよ。
私も病気で伏せっていた頃は肉食もしましたし魚も食べました。
ただあなたが本気で自分の霊性を磨きたいならば、少しずつ完全菜食を目指していけばよいと思います。
私のように完全菜食一日二食を徹底して体を壊しては本末転倒です。
第9巻 キ 5帖 19450310土 第五帖 (二六二)
この神は従ふ者にはおだやかざが、さからふ者には鬼となるのざぞ。三月十日、一二の神。