信憑性について考察
とかく色々といわれがちな日月神示の信憑性についてですが、私は「信じて良い部分」と「真偽が疑わしい部分」があると感じています。
上記は私の日月神示研究資料の一部です。各帖の降ろされた日付などをまとめています。
私が「信憑性が高い」とするのは第1巻~23巻の海の巻までで、これ以降は信憑性の面で不安があると感じています。
というのも、日月神示を取り巻く色々な噂をまとめていくと、どうも海の巻以降はお金儲け目的で近寄ってきた業者の息がかかっているようだと感じるのです。
日月神示(日月神示刊行会)
私が1998年頃に初めに入手した「日月神示(日月神示刊行会)」は1~23巻までしか掲載されておりません。
私がこの神示を手に入れるために日月神示刊行会へと電話したとき「この書は渡せません」と断られたところをなんとかお願いし、1冊分けて頂きました。
その後、色々と日月神示について調べていくと、続編があるということで再び日月神示刊行会へと電話したとき、「続編については確かに存在する。が、多くの人がこれで道を踏み外してしまった。なので、うちからは渡すことはできない」と言われました。
刊行「日月神示」ブログを参照
恐らく、このとき電話でお話したのが、sonney「あはやさわ☆まなたから」のブログの至恩郷元理事さんだったのかな?と思います。
当時の私はこれが何のことかわからなかったのですが、色々と調べていくうちに、世に出回っている日月神示にはどうも「お金儲け目的で出されているもの」とそうでないものの2種類があるようなのです。
第一仮訳と第二仮訳
すめらみちの日月神示資料で調べますと、日月神示には
・岡本天明氏が主に翻訳に携わった「第一仮訳」
・岡本三典氏や中矢伸一氏が主に翻訳に携わった「第ニ仮訳」
の2種類があり、世の中に印刷されて出回っているのは主に「第二仮訳」となっています。
第一仮訳と第二仮訳の翻訳の違いはそれほど多くないとされていますが、重要なのは第24巻以降・及び五十黙示録が掲載されているかいないか、の違いです。
岡本天明氏の見解
ひふみ神示(コスモビジョン)の856ページに記載されている「訳者から」の記載を見ていきます。
岡本天明氏は「先に発表した七巻(第24巻:黄金の巻~30巻:冬の巻)は二十三巻(海の巻)から出た枝である」と主要な部分ではないと言っています。
また、五十黙示録はこの24~30巻の根幹であるため、これもまたやはり「枝」と認識して良いでしょう。
枝はもちろん必要ですが、私としてはやはり幹の部分である第1~23巻までが重要で、特に岡本天明氏が翻訳に携わっている「第一仮訳」が最も重要視しなければならないと感じています。
故に私は「日月神示(日月神示刊行会)」を最も信憑性の高い神示として扱っております。
この書は世に1000冊しかなく、私が初期に頂いた1冊は粉々になるまで読みこの世から消えたので、999冊しか存在しておりません。
後にオークションで1冊を手に入れたので、999冊のうち1冊を私が保有しています。
ひつ九の(・)の神示これまで
日月神示は海の巻の最後にて「ひつ九の(・)神示これまで」と、日月神示として降ろされたのは第1巻~23巻までである、と言い切っています。
実際、これを表すように、第1巻~23巻までは毎日のように降ろされていた神示が、次の黄金の巻が降ろされるまでにおよそ2年以上の期間が空いています。
第26巻:黒鉄の巻と第27巻:春の巻との間で三典氏と結婚し、以降神示が降ろされるまで2年の歳月が空いています。
また、五十黙示録は日月神示 海の巻が降ろされてから14年もの歳月が経過しています。
これほどの期間が空いてしまうと、昭和19年~22年の3年あまりで降ろされた神示の神と、同じ神がかかっているとは考えにくくなります。
黒い噂
日月神示が降ろされた昭和19年~22年もの3年間はほぼ毎日神示が降ろされていた。
が、それ以降は断続的に、期間をあけて降りることが多くなっていた。
日月神示には神示を盗みに来る人や、神示で金儲けしようと企む人たちがたくさん出てくる事が書いてあります。
ここでは、日月神示刊行会の会長をされていた方の下記ブログの記述を参考に、日月神示が降ろされてから起きた様々な悪い噂について紐解いていきましょう。
日月神示の原点が盗まれてしまった
日月神示には「神示盗まれないよう注意しろよ」と書かれていたが、結局は盗まれてしまったようだ。
141 | 第5巻 | 地つ | 4帖 | 1944 0916土 | この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何も彼も分るのざから、よく読みて腹に入れておいて呉れよ、この神示 盗まれぬ様になされよ、神示とりに来る人あるから気つけて置くぞ。 |
どこかで道を間違えてしまった
この「道を間違えた」のは、私が上で考察しているように、恐らく第1~23巻以降を出し始めた頃からでしょう。
23巻以降は断続的に神示が降りているし、様々な宗教家が神示を食い物にしようとよってきて、祟り?によりたくさんの自殺者・病死が出たのではないかと思うのです。
ひかり教会の問題点は組織ができた以上、周りの期待に添うため、絶えず神示をおろしてナンボの状況に、天明自身の引っ込みがつかなくなったところにあるのではないか。天明に神示が降りた現象に心霊実験として関心を持つ人たちがいた。デモンストレーションとして交霊現象を見せ続けなければならない状況に陥った(岡本天明伝P409)
いつ頃からこのような状況に陥ったのかは分かりませんが、いつの頃から組織ができ「宗教」になってしまった。神示には「この道は道だ、宗教ではない、人はそれほど必要ない」と書かれているにも関わらず、いつの間にか多くの人が集まり、道を外してしまった、という過去があるようです。
(霊的)現象面に囚われて修養を怠ると、霊的に耐えられず、霊障を引き起こす人間が多かった現状に、天明は晩年、ひかり教会を「キチガイ製造教を造ってしまった」と日々嘆いた。 (岡本天明伝P411)
大小様々な宗教家・関係者がひかり教会を訪れ、それに従い徐々に本来の道を外れていってしまった・・・。本来、天明氏は「神示を書かす役」なのに、いつの間にか教祖のように崇められ、道を外していってしまった。そのような過去が見て取れます。
59 | 第2巻 | 下つ | 17帖 | 1944 0721金 | 天明は神示書かす役ぞ。神の心取り次ぐ役ざが、慢心すると誰かれの別なく、代へ身魂使ふぞ。 |
始めのうち(1~23巻の3,4年頃)までは良かったが、それ以降は様々な宗教的しがらみが生じてきて、道を外していったのではないでしょうか。
故に、私が初期に出会った日月神示(日月神示刊行会)は1~23巻までしかなく、これ以降は関わらないほうがいい、と言われたのではないか、と私は思っています。
神示は金儲けの道具にされた
74 | 第2巻 | 下つ | 32帖 | 1944 0803木 | 第三十二帖 (七四)この道ひろめて金儲けしようとする臣民 沢山に出て来るから、役員気つけて呉れよ、役員の中にも出て来るぞ、金(かね)は要らぬのざぞ、金いるのは今しばらくぞ、生命は国にささげても金は自分のものと頑張ってゐる臣民、気の毒出来るぞ、何もかも天地へ引き上げぞと知らしてあること近づいて来たぞ、金かたきの世来たぞ。八月三日、一二 。 |
残念ですが、神示は金儲けの道具にされてしまいました。私は「日月神示(日月神示刊行会)」以外に、コスモテンの15000円のものや、ひふみ神示(コスモビジョン)8000円のものを所有しています。
あまりにも値段が高すぎますね。どれだけ神示で儲かったんでしょうか・・・?
霊能力者がお金儲けに走ると、その霊能力の後ろ支えとなっている神霊が離れていき、例えば予言が外れるとか、肝心なところで失敗するといった現象が起きてくると言われています。お金は邪魔になるんです。
最終的に、信頼できる日月神示は日月神示刊行会のものだけになった
上で書いたように、日月神示は初期の3年あまりに降ろされた第1~23巻:海の巻までが正規と考え、それ以降は「お金に絡んだ」面があったのではないかと察するのです。
神示がおろされた昭和19年~昭和22年以降、膨大な数の宗教信者や金儲けの業者が神示を訪れ、道を外してしまった。
もし大本の型がここに現れているとするならば、今の日本の「お金儲け第一主義」「人のものを盗んでもそれが正しいのだ」といった我良しの考え方が広まったのも、仕方ないことなのかなと思う。
なぜ岡本天明氏はこのあとがきを書いたのか
もう一度、このあとがきを見ていきましょう。
なにか感じませんか?
周りからの圧力に負け、生活のため・お金のために仕方なく24巻・五十黙示録を出したのではないか、と勘ぐってしまいます。
岡本天明氏もこのことに後ろめたさを感じており、どこかで読者に「諭す」必要があった。
しかし立場上、表立ってその事を否定できない(お金をもらわないと生きていけない状況)だったため、読者に「諭す」形でこのあとがきを書いたのではないか。
「24巻以降はやむにやまれぬ事情があった。どうか察してほしい」
と、私は岡本天明氏から語りかけられているような気がするのです。
全ては神の手のひらの中
しかし、おそらくはこの一連の流れも「神様の手のひらの中」での事だと思います。
神示が盗まれる事も想定内、業者に金儲けの道具にされることも想定内、ということです。
日月神示の真偽については個人個人の判断に任せるとしても、日月神示が2000年以降爆発的に世の中に広まったのは、インターネットの普及と「金儲け目的で神示を販売した」人たちによるところが大きかった。
ただし神示の内容については、世の中に出回っているものを盲信してよい訳ではなく、個人個人で見極めをしていかなければならないと私は感じ、このページを書きました。
結論
・岡本天明氏が主に翻訳に関わった第一仮訳の最終版である「日月神示(日月神示刊行会)全千部」が最も信憑性が高い
・24巻以降はお金儲けに絡んでくる事と、岡本天明氏が翻訳に携わっていない箇所があるので注意が必要(私は完全に否定している訳ではないです)
コメント
私は30年以上前に日月神示を知り、その後何度か気になっては2.3冊読んではなんかな〜と思い離れて行きました。そしてまた最近になって気になりだして、また関わるなら今度はしっかりした本を購入するか、すっぱり縁を切るかにしようとモヤモヤしている中、何時も大切にしている神社の月参りの帰り道でたまたま見付けたコンビニでいつもなら止めそうなところに人がたむろしていたのでいつもなら止めそうもないところに車を止めました。すると正面に居酒屋でしょうか、『一二三家』という看板がありました。まさかこの時期この時に出くわすとは。偶然といえば偶然。あまり意味付けし過ぎるのも危険ですが、そればかりでは今後もどんなシグナルがあっても全て理性で却下しなければならない。でももしかしたら何か意味があるかもしれないと長年ムーを読んでるけど染まり切らない私です。
日月神示で引っ掛かっている理由は
1.日本の神さまなのに日付が太陽暦。
2.日本の神さまなのに名詞ならともかく和語、大和言葉以外の漢語が含まれている。
3.日月神示では肉食が戒められています。人類は誕生以降、日本では仏教伝来以前まで肉を食していました。現代人とは比較にならないほど神の存在を敏感に感じ、神の声に耳を傾け神の意思に沿って生活をしていたと思われる縄文人は狩猟採集で暮らしていました。彼らが神に背いた生きかたをしているとは思えないのです。穀物や農作物を纏まった量を収穫するには田畑を作らなければなりません。意地の悪い言いかたをすれば農業が環境破壊のはじまりともいえます。日月神示の実践を縄文人の精神性や生活と結び付ける人がいますが、実際は食い違いがあります。日月神示の神さまはいつの時代の神さまなのでしょう。
この辺りでいつも逡巡してしまうのです。もちろん語られていることはご立派で共感しています。問題はこれが『神示』だとしたらこの食い違いは何なのかということです。どのようにお考えでしょうか。
もとは数字と記号で書かれてるんじゃなかったけ?
それを翻訳したのが岡本天明らであって
1.日本の神さまなのに日付が太陽暦
2.日本の神さまなのに名詞ならともかく和語、大和言葉以外の漢語が含まれている。
はただの翻訳結果、近現代の生まれである岡本天明らの言葉に直されているのだから当たり前だと思いますよ。
よくよく考えてみたところ、三典女史は第一仮訳ですら昭和22年設立のひかり教会が関わっているので、注意しろと言いたかったのではないかと思います。そう考えれば、日月神示刊行会版発行時に嫌がった理由が解ります(あなたは判っているでしょうと露骨には言えなかったのでしょうね)。またひつく神書研究資料版ですら第三十巻まで収録しているので要注意ですね。
となると、ひつく神書研究資料版の他、これを底本にしたと思われる思金本とそれを底本にした今日の話題社版が最も信憑性が高いと思います。第二十三巻にした思金本の意図も考えると余計そう思いますね。荒の巻の訓み方は第一仮訳と完全に別物の様なのでこの意味も考えた方が良いかと思いますが、どこから変質したのかをうかがい知れる資料がないですからね。
そういえば、第二十三巻が書き終わったのが昭和二十二年八月、ひかり教会の設立が昭和二十二年。色々と邪推できますね。