第2巻 下つ巻 解説

日月神示 第2巻 下つ巻 18帖~22帖 解説

第2巻 下つ巻 解説

第2巻 下つ 18帖 19440723日 第十八帖 (六〇)

この道は神の道であり人の道であるぞ。この道の役員は神が命ずることもあるが、おのれが御用すれば、自然と役員となるのぞ、たれかれの別ないぞ、世界中の臣民みな信者ざから、臣民が人間ごころでは見当とれんのも無理ないなれど、この事よく腹に入れて置いてくれよ。

日月神示ではこれは宗教ではない、と繰り返し書かれていますね。あくまで「道」である、とのこと。

第2巻 下つ 1帖 19440712水 第一帖(四三)
この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ、教会ではないぞ、ざから、今までの様な教会作らせんぞ。道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神がみちみつることぞ。

道、というと武道や茶道のようなものでしょうか。ただ、日月神示が世の中に広まるにつれて宗教臭さが強くなっていった事や、様々な宗教関係者が集まってきた経緯もあるようなので、当初のこの「道」という思想がどこまで貫かれたかは筆者には分かりません。

第24巻 黄金 27帖 19491127日 第二十七帖  
何故、喜び受けぬのぢゃ。宗教は無くなって了ふぞ。誠光るのぢゃ。光のマコトの宗教生れるのぢゃ。その時は宗教でないぞ。心得なされよ。かしはでとカシハデと二つあるぞ。拍手はちかひとチカヒのしるし。手摺(す)るのは願ひのしるし。かのととり。一二十

日月神示では「宗教はなくなってしまう」という記載がありますね。宗教といえばユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教といろいろとありますが、一神教で崇める神様が、実は同じ神様だった・・・というような事が、弥勒の世になれば分かるのだろうと筆者は予想しています。

神の土出るぞ、早く取りて用意して皆に分けてやれよ。神に心向ければ、いくらでも神徳与へて何事も楽にしてやるぞ。七月の二十三日、ひつ九のか三のふで。

岡本天明伝 P160
天明の奉職していた鳩森八幡神社には江戸時代の富士講が造った富士塚があった。富士塚から「御土米」が出ると神示があったので、半信半疑で天明が富士塚を探してみると、本当に土の中から御土米が出た。

→「神の土」がなんなのかは定かではないが、大本教で「御土米」という米の形をした土が尊ばれた事から考えると、御土米の事とおもいます。

第2巻 下つ 19帖 19440723日

第十九帖 (六一)苦しくなりたら何時でもござれ、その場で楽にしてやるぞ、神に従へば楽になって逆らへば苦しむのぞ。生命も金も一旦天地へ引き上げ仕まうも知れんから、さうならんやうに心の洗濯第一ぞと申して、くどう気附けてゐることまだ分らんか。七月の二十三日、一二のか三。

→私は諸事情で元々霊山であった場所で仕事をしています。
開発によりこの霊山の山を切り開いて事業を立てた訳ですが、当時のプロジェクト担当であった人たちはトラブルにあい全てリストラされてしまいました。

また開発に携わった施工業者も数十億という赤字を出して撤退することに。

山の神様というのは昔から「タタリが怖い」とされています。私はそれを、目の前で身を持って見せられた訳ですね。

私はこの霊山で毎日仕事をしていますが、御嶽山の御札をお祭りし、毎日頭を下げています。また、構内で施工業者が遺していったゴミを拾い、少しずつ清掃作業をしています。

第2巻 下つ 20帖 19440723日 第二十帖 (六二)

上(うえ)、中(なか)、下(しも)の三段に身魂をより分けてあるから、神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。

神の世になると、恐らくは大本の綾部本部付近を中心として、世界が造られると筆者は予想しています。

日本の中心地 綾部に近づくに従い、上の身魂が多くなり、離れていくに従い身魂の階級が下がっていく感じなのかなぁ、と。自然と、その人の役割に応じた場所に人が配置されるような形になるのではないかな。

ここでは上中下とありますが、上だから偉いとかそういうのではなく、それぞれの魂の質に従った役割が与えられるので、かえって下の身分の方が良いって人も多いと思うんですよね。
私のように掃除が好きでゴミ掃除やら壁拭きや窓ふきが好きな人間は掃除をしてたほうが気楽ですし、話術が得意な人はその話術を使って人を使えばよいと思う。

今の世の中は得意不得意関係なく、会社の上の指示でポジションを決められてしまうので、強いストレスを感じてしまう人も多いでしょうしね。

神の世とは神の心のままの世ぞ、今でも臣民神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。臣民 近慾(ちかよく)なから、心曇りてゐるから分らんのぞ。

→「神の心」というのは筆者的には愛・歓喜であり、人が喜ぶやりかたをする心と思っています。

第17巻 二日ん 19帖 19451015月 第十九帖 (三九六)
天国の政治は、歓喜の政治である。故に、戒律はない。戒律の存在する処は、地獄的段階の低い陰の世界であることを知らねばならない。天国の政治は、愛の政治である。政治する政治ではない。より内奥の、より浄化されたる愛そのものからなされる。故に、与える政治として現われる。

与える政治こそが次の世のありかたであり、これは今の世の中でいえば親が子供に対して物や愛情を与えるようなものと思います。

今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けた様になったときに、まことの神力出して、ぐれんと引繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ。

働き方改革の死角>日本、続く賃金低迷 97年比 先進国で唯一減:東京新聞 TOKYO Web

日本の賃金を見れば、世界と比べても過酷な状況になっているのは明らかですね。

他の国ではここ10年程で賃金が倍担っているのにも関わらず、日本人の給料はむしろ下がってしまったんです。

現在では年収200万円代の人が大半になってしまっている状況を見ても、すでに日本が学・金の世の中のやり方では大敗を喫してしまったのが見て取れますね。

「 神力が九分九厘まで負けた様になったとき 」とあるように、国の力だけ見ても日本の負けが確定的になってきているのが今の日本の状況ですが、これから東南海地震や外国の侵略等のイベントが控えているため、まさに「99%日本が負ける」ような出来事がこれから起きてくるのでしょう。

そのときこそが、日本の国の神力が発動する時であり、次の世 神の世が開かれる時であるということなのでしょう。

てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、岩戸開きぞ。いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。百日雨降ると何んなことになるか、臣民には分るまい、百日と申しても、神から云へば瞬きの間ぞ。七月の二十三日、ひつ九のʘ 。

中国・河南省の豪雨 死者数が急増し302人に(2021年8月2日)

→洪水に関しては、世界で最もメグリが深いと思われる中国の洪水状況をみれば判りますね。
「百日の天」が「瞬きの間に」降ると、この様になってしまう訳です。

第1巻 上つ 3帖 19440611日 第三帖 (三)
何も一度に出て来る。海が陸になり陸が海になる。六月十一日の朝のお告げ、みよみよみよひつくの神。

まさに「陸が海となる」ような出来事が、これから世界各地で発生していくのでしょう。

第2巻 下つ 21帖 19440724月 第二十一帖 (六三)

ゝばかりでもならぬ、 ○ばかりでもならぬ。 ʘがまことの神の元の国の姿ぞ。元の神の国の臣民は ʘでありたが、 ゝ が神国に残り ○が外国で栄へて、どちらも片輪となったのぞ。・もかたわ ○もかたわ、 ゝ と ○と合はせて まことの (かみ)の世に致すぞ。今の戦は・と○との戦ぞ、神の最後の仕組と申すのは○に ゝ 入れることぞ。 ○も五ぞ ゝ も五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ。一厘の仕組とは○に神の国の・を入れることぞ、よく心にたたみておいて呉れよ。

ゝ (たま)は神、◯(わ)は人
ゝ(たま)は日本、◯(わ)は外国
ゝ(たま)は霊、◯(わ)は体
とあるようにゝ(たま)は物事の真髄であり、極意であり、中心であるわけですね。地球で言えば日本が中心、外国は外側という原則がある訳です。

人間でいえば精神的な生活にばかり傾倒せず、また物質的な生活にばかり傾倒しない、どちらにもバランスの取れた「中庸」的な生き方が重要だと、シルバーバーチの霊訓に書いてあります。

シルバーバーチの霊訓 <2> P34
人間生活には3つの側面があります。まず人間は霊であり次に精神でありそして肉体です。人間としての個性を存分に発揮するように成るのは、この3つの面の存在を認識し、うまく調和させるようになった時です。
物的世界にのみ意識を奪われ、物的感覚にしか反応を示さぬ人間は、精神的ならびに霊的な面においてのみ獲得される、より大きい、より深い、より美しい喜びを味わうことはできません。反対に精神的なもの、霊的なものばかりの瞑想的生活から生まれる内的満足のみを求め、この世の人間としての責務を疎かにする人間は、一種の利己主義者です。

この霊(ゝ)と肉体(◯)の調和という思想は日月神示にも通ずるものがあり、我々が目指すべき姿でもあります。

ただ今の日本はすでに骨抜きにされており、本来純粋無垢であるはずのゝ(たま)の外堀が汚されてしまっているような状態なのでしょう。九分九厘まで悪に汚染されてしまっている状態です。

けれども今の中国やアメリカなどの物や金があれば地球などどうなってもよい、力こそすべてといった風なやり方では、いずれこの星は滅びてしまう。今はその滅びの直前であることは、皆さんも分かっておられることでしょう。このまま行けば、日本にわずかに残った神様のゝも、日本も、世界も全てが破滅し、また元の泥海になるわけです。

今まではまたアダムとイブの時代からやりなおせばよかったのですが、今回は最後の建て替えなのでそれも難しい訳ですね。

神は十柱五十九柱のからだ待ちてゐるぞ。五十と九柱のミタマの神々様お待ちかねであるから、早うまゐりて呉れよ。今度の御役大層であるが、末代残る結構な御役であるぞ。七月の二十四日、一二のか三。

→1柱(天明)・2柱(矢野シン他?)・7柱(初期の因縁の身魂)・49柱(ひらがなに相当)の合計59柱の因縁の身魂が、日月神示が降ろされた初期に集まり、神仕組を行ったのでしょう。

この度、国常立大神様が動かれて岩戸開きがなされた暁には、彼らの名は常永久に語り継がれることになるでしょう。

第2巻 下つ 22帖 19440728金 第二十二帖 (六四)


岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、この仕組、言ふてはならず、言はねば臣民には分らんし、神苦しいぞ、早う神心になりて呉れと申すのぞ、身魂の洗濯いそぐのぞ。二三三二二(アイカギ)、 ・○ʘ、コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ。一二ʘ (ひつくのかみ)、七月の二十八日。

→1944年の時点で、岩戸開きの詳細を明かせば、悪の勢力に計画を見抜かれて対策される恐れがあったのかもしれませんね。

→「 二三三二二(アイカギ)、 ・○ʘ、コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ。 」は
「合鍵、賜(たまわ)す、この鍵は石屋としか手握ることぞ」ですね。

日本がゝ(たま)であり、石屋は◯(わ)であるが、お互いに今回の岩戸開きのキーを所有しているのでしょう。

この世を支配する世界征服についての内容を暴露したとされるシオン長老の議定書ですが、その内容は我々一般人にとっては戦慄する内容です。

が、読んでいくと「あれ?」と思う部分が一箇所だけあります。それは彼らが切望してやまない「ユダヤの王」についての記載ですね。

シオン長老の議定書 P173

ユダヤ王の精神性
ユダヤ王は己の感情に動かされてはならぬ、ことに情欲にとらわれてはならぬ。王の性質の中のいかなる特質も、王を抑えてその思想の主となってはならぬ。情欲はいかなる他の欠点よりも以上に、精神上の能力と、物を明晰に見る力を殺ぎ、その考えを人間の性質中で最も悪い、最も汚れた本能の方へと持ってゆくのである。ダヴィデの神聖なる民族から出て世界の支配者の身となり、宇宙の支柱をなしている王は、その人民の幸福のためにはいかなる個人的希望をも犠牲にしなければならぬ。我々の王は非の打ち所のないものでなければならぬ。

上の内容ですが、彼らが必要としている「王」と、日本の「天皇」の姿が完全に重なるのですよね。筆者はこれを「合鍵」の一つと見ています。

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