第2巻 下つ 15帖 19440721金 第十五帖 (五七)
この方祀りて神示(ふで)書かすのは一所なれど、いくらでも分け霊(みたま)するから、ひとりひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。祀る時は先づ鎮守様によくお願いしてから祀れよ、鎮守様は御苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ、この神には鳥居と注連(しめ)は要らんぞ。
追ひ追ひ分かりて来るぞ、一二七七七七七わすれてはならんぞ、次の世の仕組であるぞ。身魂みがけば何事も分りて来ると申してあろがな、黙ってゐても分るやうに早うなって下されよ、神の国近づいたぞ。七月の二十一日、ひつ九のか三。
この「 一二七七七七七 」というのはなにか悩みましたが、下の帖にあるように組織は一人の長と二人の補助、そして下に七人ずつの階層が七段というのが、神界での法則であるようです。
第2巻 下つ 16帖 19440721金 第十六帖 (五八)
知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。
→「イシヤの仕組」についてはシオン長老の議定書や3S政策(スクリーン・スポーツ・セックス)による人民の家畜化計画等を調べれば判りますね。
特に日本は3S政策がクリーンヒットしています。筆者はテレビも見ないですしスポーツもしません(山登りは別ですが)。洗脳されないように気をつけましょう。
日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。
イシヤ=石屋=フリーメイソン
いわゆる世界をお金で牛耳っているとされている方達ですね。
神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。
仏教公伝。6世紀頃に仏教が日本に伝来したことが、5つ目の岩戸閉めと日月神示では語られる。
よく勘違いされることですが「日月神示は仏教を全面的に否定するものだ」とされるが、そうではない。 仏教自体は悪くないが、仏教と同時に魔のものが日本に入り込んできたことが、日月神示では問題だとしている。
神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。
→この日月神示の道に導かれた人は、富士(地方富士でもいいと思う)から流れている川で、ʘの模様のある石を一つ、まもり石として頂いてこよう(磨かれた丸石の中央に点がある石でよいと思います)
とあるように、マルチョンʘの印のある石を、霊山(富士山・御嶽山・白山といった・・山岳宗教に関係する山ならどこでも良さそう)から出た川で拾ってきましょう。
もしも相模湾のお近くに住んでいるならば、相模湾で拾うのが良さそうではありますね。
これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。
→一度目は東京空襲でしょう。が日月神示には繰り返し「同じようなこと繰り返す仕組」とあるように、東京空襲で東京が焦土となるような出来事が、再び起きるとされています。
→「江戸には人住めん」とあるように、これは東京空襲によるものとは少しニュアンスが違いますね。東京空襲後、日本は復興し東京は再び日本の首都として世界有数の都市へと変わった。今まで一度も「人住めんような時」になったことがないのですね。
江戸(東京)が人が住めないような状況(おそらくは核ミサイル?による汚染)になるのは、この世の中(今のお金主体・物質主義の世の中)が終わるすんでの時のようですね。
江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。七月の二十一日の夜、ひつ九のか三。
ここでいう「カイの御用」というのは何でしょうか?
日月神示を読んでいると「カイの御用」というのは何度も出てくるが、一体なんだろう?とあまり深く考えない人が多いのではないでしょうか(私はそうでした)
要約すると「食べ物を大切にする歌の集団」を作ったという感じのようですね。
以下に「カイの御用」に関係する文章をソートしてみました。
日月神示が降ろされて1ヶ月程たった後、初めて「カイの仕組」という文字が出ます。
「カイの御用も続けてくれよ」とあります。後ろの方で出てきますが、食べ物を大切にするというのがカイの御用のようです。時代は1944年の12月ということから、戦中でも特に食べ物が不足し始めた時期。
食べ物に関して施しでもしていたのでしょうか。戦中の、食糧事情が過酷な時代ですから、炊き出しのボランティア的なことをしていたのかもしれませんね。
この段階で、カイの奥山が開かれたようです。おみやをお祭りしたのでしょうか。
岡本天明伝にあるように、「カイ奥山」というのは、天明宅のような感じです。
「カイの集団」は歌(ひふみ祝詞等?)をベースとした集団を作ったようです(雨の日津久野神奉賛会?)。食べ物を大切にとあるように、施しなどもしていたのかもしれませんね。
当時の関係者であるマドモアゼル・愛さんが語られるように、岡本天明氏の奥さんの三典さんは食べ物を本当に大切にされたということです。食事前の礼拝なども欠かさず行っていたということから、日月神示が降ろされ、組織として大きくなっていっても「食べ物を大事にする」というカイの御用が最後まで行われていたのでしょうね。
その後、昭和22年8月13日の「ひつくのかみの神示これまで」という文字で、海の巻が終わるまでの間、断続的に神示は降ろされていたようです。
第2巻 下つ 17帖 19440721金 第十七帖 (五九)
学や知恵では外国にかなうまいがな、神たよれば神の力出るぞ、善いこと言へば善くなるし、わるきこと思へばわるくなる道理分らんか。今の臣民 口先ばかり、こんなことでは神の民とは申されんぞ。
→「 学や知恵では外国にかなうまいがな 」
平成初期頃までは世界的に通用した日本の科学技術力や製造業の技術も、令和の現代ではもう外国に追い抜かされてしまいました。
人口が減り、若い世代が少なくなっていく未来しか見えない日本において、もはや学や知恵での外国との勝負は勝ち目がなくなってしまいましたね。そもそもこの日本の人口が減っていった事も、考えても見れば悪の仕組の一つだったのでしょう。戦前は親族家族の絆が強く、男は家族のため、女のためと戦場へと赴きました。
が今の時代は男と女がいがみ合い、家族との関係性も薄れ、給料も安く子供もない男たちは国を守るため戦う必要性を感じなくなってしまいました。このような状況で、今戦争が起きたら、誰が前線で戦うのでしょうか?
天明は神示書かす役ぞ。神の心取り次ぐ役ざが、慢心すると誰かれの別なく、代へ身魂使ふぞ。因縁のある身魂はこの神示(ふで)見れば心勇んで来るぞ。
→この言葉をひきあいに出して「神示の続編を書いたぞ!」とよくわからないなんちゃら神示というのを世の中に出している人が居たりします。みなさんは惑わされる人は居ないと思いますが・・・。お気をつけ下さい。
一人で七人づつ道伝へて呉れよ、その御用が先づ初めの御用ぞ。 この神示通り伝へて呉れればよいのぞ、自分ごころで説くと間違ふぞ。神示通りに知らして呉れよ。我を張ってはならぬぞ、我がなくてもならぬぞ、この道六ヶしいなれど縁ある人は勇んで出来るぞ。七月の二十一日、一二のʘ 。
→この七人も、正直身内や家族・友人に対して伝えることはおすすめしません。日月神示も一般人からみれば宗教以外のなにものでもなく、今の神無しの世の中では「あいつは宗教をやっている」というだけで敬遠されてしまうもの。
筆者が日月神示を読み始めた1998年頃はインターネットも出始めで(テレホーダイの時代ですね)伝えるといっても周りの人たちくらいしかない・・・という状態でしたから、知り合いに伝えたりもしましたが、はやり煙たがれたものです。
リアルでの人間関係を維持したかったら、やりかたを少し考えてみましょう。とりあえずは、インターネットで紹介するとか、掲示板に書き込むとか、その程度のことでよいと思います。
日月神示の普及についてですが、上に在るように無理に他人を引っ張るような事をすると、かえって敵になり面倒なことになるというのが、宗教勧誘というもの。
神示では「信者増やしても意味がない」というスタンスなので、そこのところは十分注意しましょう。
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