日月神示の解説 第2巻 下つ巻 解説

日月神示 第2巻 下つ巻 6帖~9帖 解説

日月神示の解説

第2巻 下つ 6帖 19440715土 第六帖 (四八)

今までの神示 縁ある臣民に早う示して呉れよ、神々さま臣民まつろひて言答(いわと)開くもと出来るから、早う知らせて呉れよ、誰でも見て読める様に写して神前に置いて、誰でも読めるやうにして置いて呉れよ、役員よく考へて、見せるとき間遠へぬ様にして呉れよ、七月の十五日、ひつくのか三神示。

→以前のページでも述べたが、筆者がひふみ神示を初めて入手した1998年頃には、この頃はかなり入手が難しかった。
筆者が入手する際も、役員の方に頼み込んで一冊分けてもらったのが実情だ。

以後、ひふみ神示はインターネット上で無料公開(違法)されたりしたが、この裏には数万円という高額な価格でひふみ神示(コスモテンのとか)を売るような悪徳業者や、故・天明氏の妻の岡本三典氏の許可を得ずにひふみ神示を無許可で販売するなど、やりたい放題の有様になっていた実情があるようだ。

ただこれらのことも所詮は神様の手のひらで踊っていただけだと筆者は考えている。
神様の真意は「1999年以降ひふみ神示の存在を多くの人に知らしめたい」という一点だったろう。

第23巻 海 9帖 19470823土 第九帖
マコトの改心は愈々とならねば出来んものぢゃが、出来んことも無理もきかねば この峠越せんこともあるのざぞ。天も近うなるぞ、地も近うなるぞ、田舎に都、都に田舎が出来ると申してあろが、も少し人民に判りて来んと、今びっくり箱をあけたら助かる人民一分もないぞ、早う知らしてくれよ。

おそらく、だが、本来の計画では1999年頃には建て替えの仕組が発動するはずだったのだろう。

が当時は入手が非常に困難だったひふみ神示。あのタイミングで大峠が来たら、 当時はバブルで浮かれて金・物主義に落ち堕落したあの頃の日本人らでは、どう考えても多くの人は助かる見込みもなかった。

第27巻 春 55帖 – 第五十五帖  
十二年おくれてゐるのを取り戻すのであるから、これからは目の廻る程 急しくなってくるぞ。神示よむ暇もなくなると申してある時来たぞ。いづれは人民へるなれど、何も約束ごと真理とはかえられん。まこと求めるならば、これと見届けたならば、その場で御用与へる仕組。

が、建て替えは10年余り伸ばされた。1999年+12年で2011年の311だ。あれは「国常立大神様が帰ってこられた」示しであり「10年余り遅れたが大峠はじめるぞ!」という合図であった。

この12年の間に、パソコンが劇的に普及し、インターネットという知を簡単に他人に伝えることができる技術が全人類に一気に浸透したのは皆様御存知の通り。スマートホンが全人類に行き渡り、(その善悪はおいておいて)ひふみ神示がインターネット上で簡単に読めるようになり、多くの人がひふみ神示に触れることができるようになった。

もしもこの10年伸ばしがなければ、果たしてどうなっていたか・・・。

第23巻 海 10帖 19470823土 第十帖
今度は十人並のおかげ位では誠の信心とは申されんぞ、千人万人のおかげを取りて下されよ、千人力与へると申してあろが、大事な御先祖様の血統を皆世に落して了ふて無きものにして了ふて、途中からの代へ身魂を、渡りて来た身魂を、まぜこぜの世と致して、今の有様は何事ぞ、まだ判らんのかなあ、人民もぐれんぞ。

→もしも1999年の時点で建て替えが開始していたら、多くの人はこの神示の存在を知ることができなかっただろう。なにせ当時はなにか学び語ったら図書館や本屋へ行くのが主流で、神示の情報を入手するのは大変に難しかった。
筆者は何度も図書館や本屋へと通っていたが、ひふみ神示関連の書籍はなかった。

この「 千人力与へる 」という意味が、当時はさっぱりわからなかったが今なら分かる。
インターネットだ。

第3巻 普字 12帖 19440821月 第十二帖 (九二)
一人改心すれば千人助かるのぞ、今度は千人力与えるぞ、何もかも悪の仕組は分りているぞ、いくらでも攻めて来てござれ、神には世の本からの神の仕組してあるぞ、学や知恵でまだ神にかなふと思ふてか、神にはかなはんぞ。八月の二十一日、 ʘのひつ九のか三。

→一人の人間が改心すれば、その改心の課程はインターネットを通して多くの人に広まる。そしてその改心した人たちが更にその手法を伝え・・・と、見えないがまるでひかりの輪のように広がっていくことを、おそらく神様は見抜いておられたのだろう。

第2巻 下つ 7帖 19440719水 第七帖 (四九)

この神示(ふで)読んでうれしかったら、人に知らしてやれよ、しかし無理には引張って呉れるなよ。この神は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ、世界中の民みな信者ぞ、それで教会のやうなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する神ざから、小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。

→筆者は1998年頃にひふみに出会った。
当時失業して失意のうちにあった私にとって、神示の言葉ひとつひとつが身に染みた。
が、ひふみについて他人に話したら変だと思われたり、嫌われたりして、仲間内から疎外されて一人ぼっちになる・・・というような経験を何度も経験した。

結果的に私は多くの友人と疎遠になった。
私はもう決してリアルで神示を語らなくなった。神示の内容については、一般人からみればそれは宗教以外の何ものでもない。故に宗教勧誘と取られるから、よほどの覚悟がない限りは神示のことを他人に話したりしないほうがいい。筆者のように孤独になりたくないのならば。

私のように一人ぼっちで生きてきて、もうそれに慣れきっているならばいいのだが、家族や親族、友人や仲間がいるならば、神示の事は黙っていたほうがよい。

他者に神示を語るには、おそらく時期がある。筆者がそうであったように、人間は徹底的に追い詰められた状態でしか、神示を受け入れられないのだろう。筆者が神示にであったタイミングは、失意の中で悩んでいた時だった。

第2巻 下つ 16帖 19440721金 第十六帖 (五八)
知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。

しかし大峠が始まってからの改心では、とてもじゃないが間に合わないと神示には書いてある。

筆者は20年程紆余曲折を経て、神示を信じるべきか、それとも捨てるべきかと散々悩んできた。菜食にするがきつく、結局体を壊して肉食に戻り、しかし霊性が落ちていくのは肌で感じていたから菜食に戻り・・・。というように、紆余曲折を経て人は改心を揺るぎなきものにしていく。

大峠が起きて外国の部隊が押し寄せ、とんでもない大地震が起き大津波や火山噴火が起きて、「あぁ、やっぱ神様のこと信じるわ~」といった上面だけの改心では、今まで行ってきた悪事や腹の黒さを神様に隠すことはできない。

第20巻 ん罒 13帖 19461116土 第十三帖
神示読みて聞かせてやれよ、嫌な顔する人民 後廻しぢゃ、飛び付く人民 縁あるのぢゃ、早う読み聞かす神示より分けておいて下されよ、間に合はんぞ、御無礼ない様に致し下されよ。十一月十七日、一二の神。

筆者は、神示については人に語らないつもりであった。が、上の帖を見るに「縁ある人」には、神示について語っていく必要があると感じてこのサイトを始めた。

一二三祝詞(ひふみのりと)するときは、神の息に合はして宣(の)れよ、神の息に合はすのは三五七、三五七に切って宣れよ。しまひだけ節(ふし)長くよめよ、それを三たびよみて宣りあげよ。天津祝詞の神ともこの方申すぞ。七月十五日、一二ʘ 。

第10巻 水 2帖 19450421土 第二帖 (二七六)
ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと)であるぞ。

→ひふみ祝詞の唱え方ですね。食べ物を食べるときは、このひふみ祝詞を頭の中で唱えながら噛む、という事を心がけると良いでしょう。

第7巻 日出 8帖 19441207木 第八帖 (二二一)
一二三(ひふみ)の食物(たべもの)に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱(十七)へながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方頂き方ざぞ。神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ、心も身も分け隔て無いのであるが会得る様に申して聞かしてゐるのざぞ、取り違い致すでないぞ。

第2巻 下つ 8帖 19440717月 第八帖 (五〇)

この神示(ふで)皆に読みきかして呉れよ。一人も臣民居らぬ時でも声出して読んで呉れよ、まごころの声で読んで呉れよ、臣民ばかりに聞かすのでないぞ、神々さまにも聞かすのざから、その積りで力ある誠の声で読んで呉れよ。七月の十七日、ひつ九のか三。

→ 私達人間には守護霊がついていたり、ご先祖様の霊がまわりに居たりと、目に見えない霊の守護をうけています。また同時に自分を惑わすような悪霊の類などもいるわけですが、神示を声だして読むことで、彼らにも神示を聞かせるということになりますね。

大本神諭 第2巻 p4
日本は神の国であるから、神が手伝わねば、チットも行けぬ国であるぞよ。日本の人民には、ヒト一人に夫れぞれの神が付けて、守護さして在るぞよ。その事が、今の日本の人民に、チットも判りて居らんぞよ。

→大本神諭にもあるように、日本人には守護神がついているようですね。この守護霊は、その役割ごとに担当するシーズンがあり、入れ替わっていくようです。

余談ですが、筆者は幼少期体があまり強くなく、幼少期から霊を見たり化かされているとしか思えないような出来事にあったりと、何かと霊障のような症状が出て困っていました。

この体の弱さというのは、どうも様々な霊を引き寄せることになるようで、私は無意識のうちに近所の祠(後に数百人の人骨が出た殺戮のあった跡と知った)に導かれ毎日のようにお地蔵様に頭を下げていたり、沼地で遊んでいて全身をヒルに噛まれたり(墓地の跡地にたまった沼だったらしい)・・・と、とにかく悪い霊にだまされているとしか思えないような出来事を多く経験しました。幼少期から頭の中に声が響き、無意識にこの声によりとんでもない場所に行く・・・という事が多々ありました。

霊障ゆえか当時はとにかく運が悪く、日月神示に出会うころまではそれはそれは酷いものでしたが、日月神示に出会い身魂磨きをし、神社に伺い頭を下げるようにし、この世の中の愛と善を願うようになると、少しずつこういった霊障が消えていきました。

おそらくですが、日月神示を声を出して読むことで、筆者の廻りにいた悪霊が払われていったのでしょう。

筆者の場合、幼少期から男性や女性の声で「あれをやれ」「あそこにいけ」と強い口調で言われることが多々有り、結果として悪い事が起きて悲惨な目に遭うことが多かったのです。が神示を読むとその神示の語句が頭に響き、こういった霊の声よりも先に、神示の言葉が頭に響くようになっていきました。

神示を読みすすめるうちに、額の中で何かがうごめくような感覚を覚えるようになり、額の感覚で神霊や神気を感じ取れるようになってきました。

第24巻 黄金 73帖 19491227火 第七十三帖  

もの見るのは額でみなされ。ピンと来るぞ。額の判断 間違ひなし。額の目に見の誤りなし。霊界には時間、空間は無いと申してゐるが、無いのでないぞ。違って現はれるから無いのと同様であるぞ。あるのであるぞ。悪の霊はミゾオチに集まり、頑張るぞ。こがねの巻は百帖ぞ。こがね しろがね とりどりに出るのぢゃ。あわてるでないぞ。(十二月二十七日)一二十

この額の感覚というのは、ヨガでいえば第6チャクラが開いた状態のようです。

「悪の霊はミゾオチに集まり」とありますが、筆者は神示を読み始めた次期にミゾオチのあたりが激しくノタウツような感覚が起きました。お腹の中で何かが暴れまわっているような感覚も、数ヶ月もすると消えていきました。悪霊が、腹の中にいたのかもしれませんね。

お腹のなかのうずきが消えていくと、自然に頭に響いていた声も消えていきました。

第17巻 二日ん 6帖 19451015月 第六帖 (三八三)
それは、霊人たちが目でみるものではなく、額で見、額で感じ、受け入れるのであるが、その場合の額は、身体全体を集約した額である。地上人に於ても、その内的真実のものは額でのみ見得るものであって、目に見え、目にうつるものは、地上的約束下におかれ、映像された第二義的なものである。映像として真実であるが、第一義的真理ではない。

この額の感覚というのは、呼吸法と密接に関係しているようです。筆者の場合は腹式呼吸にし、呼気を緩やかにし、呼吸と同時に額から気を吸うような感覚にします。神社などの御神前だとこの状態を維持すると、神気が額より入り全身に広がります。

第26巻 黒鉄 22帖 19500122日 第二十二帖  
神は額から入って顔全体に至り、全身に及ぶものであるぞ。(一月二十二日)

瞑想時も同様で、神気が額より入り全身に広がります。この状態を維持した状態で、第4チャクラ(胸)を愛と善で満たし(この時肉食が邪魔になる)、第5チャクラ(喉)の呼気を細めて額の呼吸と同期し、第6チャクラ(額)より神気を頂いた時、全身が神気で満たされます。

その状態で全人類の平和を願い、神への感謝で全身を満たせば、第7チャクラ(頭頂部)が開きます。その瞬間、全身に経験もしたことがないような、凄まじい感動と幸福で満たされます。おそらくこれが、「誠の神がかり」状態で、神様の光が差し込む弥勒の世が来た時、日本はこの状態を常に維持する神人ばかりになると筆者は考えています。

というのも、私が霊障が頻発していた小学生時代に何度か見た特徴的な夢で、サイトでは何度も書いていますが、

白く光り輝く布を着て広大な草原に佇んでいる。遠方には非常に高い山がそびえており、私はその山を眺めていた。全身が震え上がるような感動と歓喜につつまれていた。

という夢が、

第3巻 普字 24帖 19440830水 第二十四帖 (一〇四)
風やみ雨も収まりて、山川静まり国土の、ところところに白衣(しろきぬ)の、神のいぶきに甦る、御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ神を拝み、地に跪(ひざまづ)き御民らの、目にすがすがし富士の山、富士は晴れたり日本晴れ、普字は晴れたり岩戸(一八十)あけたり。八月の三十日、ʘの一二のʘ。

筆者の幼少期にみた夢が、神示の上の文そのままであったためです。

私はこの夢を小学生中学年時代に3回見せられていますが、この夢があまりにも感動的だったために、夢から覚めたあと「お願いです、なんでもするから、あの世界に連れて行って下さい」とベッドの上で泣きながら土下座していたんですね。10歳前後の子供がですよ?

そしてこのときに感じた感動こそが、上の第7チャクラが開いた瞬間の感動・幸福感と同一のものであったために、筆者の中では「神の世が来る」ことはもう確定事項になっているわけです。

第2巻 下つ 9帖 19440717月 第九帖 (五一)

今度の戦はʘと○との大戦ぞ。神様にも分らん仕組が世の元の神がなされてゐるのざから、下(しも)の神々様にも分らんぞ。何が何だか誰も分らんやうになりて、どちらも丸潰れと云ふ所になりた折、大神のみことによりて この方らが神徳出して、九分九厘という所で、神の力が何んなにえらいものかと云ふこと知らして、悪のかみも改心せなならんやうに仕組みてあるから、神の国は神の力で世界の親国になるのぞ。

この神示が降ろされたのが1944年で、終戦の1年前となるわけです。日本に向けて、アメリカ・ロシア・中国といった各国が攻め寄せてくる少し前の状態ですので、この神示は第二次大戦の戦況に向けた帖として当時は捉えられていたでしょう。

当時の陸軍関係者には日月神示を信じている人がかなりいたようで、こういった文が随分励みになったようです。自殺をしようとしていた兵隊さんも、この神示を読んで思いとどまった人が随分居たとか。

が、現実を見ればこの帖の内容は、1945年終戦時には実現しませんでした。なので当時は「神示は嘘だ」というふうな見方をとられた事も仕方ない事と思います。

ʘと○とは心の中に「・」があるか「・」がないかの違ひであるぞ。この方は三四五(みよいつ)の神とも現われるぞ。江戸の御社(みやしろ)は誰でも気楽に来て拝める様にして置いて呉れよ、この方の神示(ふで)書く役員、神示うつす役員、神示説いてきかす役員要るぞ、役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛ないとつとまらんぞ、役員づらしたら直ぐ替身魂使ふぞ。七月の十七日、一二のか三。

→この「三四五(みよいつ)」の御用について筆者もよく分かっていなかったので、神示データベースをソートして関連する文を抽出しました。

第2巻 下つ 14帖 19440720木 第十四帖 (五六)
一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、

ここからは段階的に一二三・三四五・五六七について考えていきます。
まずは、一二三(ひふみ)は、永遠に動かない道=天理教が出口なお氏により開かれた1892年を仮で置いておきましょう。国常立大神様がかかられたタイミングより、神の道が開かれたという風に仮定します。

三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。

→神を祀りたら三四五(みよいづ)の御用にかかるとあるので、1944年の榛名山への祀りを始めに三四五が開始されたと仮定。

→三四五(みよいづ)の仕組みは「てんし様」の光が隅々まで行き渡るための準備を整える事のようですね。

第3巻 普字 4帖 19440812土 第四帖 (八四)
一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ

第6巻 日月(・) 4帖 19441020金 第四帖 (一七七)
三四五(みよいづ)の仕組出来ないで、一二三(ひふみ)の御用はやめられんぞ。此の神示読んで三四五の世の仕組よく腹の中に入れておいて上(かみ)の人に知らしてやりて下されよ。三四五とはてんし様の稜威(みいづ)出づことぞ。

→一二三の仕組が済んだあとに三四五の仕組になるので、一二三の仕組は1892年~1944年と仮定。

第7巻 日出 2帖 19441202土 第二帖(二一五)
九歳(とし)は神界の紀(もと)の年ぞ、神始めの年と申せよ。一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)ぞ、五の歳は子の歳ざぞよ。取違ひせん様にせよ。

→九の歳は神界の紀の年=令和元年(2019年)
→五(六七)の年は子(2020年)の歳ざぞよ
なので、五六七(ミロク)の始まりは2020年である。

これにて、一二三・三四五・五六七の期間がだいたい推測がついた。

第2巻 下つ 34帖 19440803木 第三十四帖 (七六)
一、二、三年が正念場ぞ。三四五(みよいづ)の仕組と申してあろがな。

→三四五の期間が1944年~2019年であるから、おそらくここでいう「一」とは2011年の「一」だろう。もちろん東日本大震災だ。

第6巻 日月(・) 4帖 19441020金 第四帖 (一七七)
三四五とはてんし様の稜威(みいづ)出づことぞ。

→てんし様の稜威(天皇や神の力が発現すること)が出るということ。
てんし様=天皇なのかは定かではない。

第2巻 下つ 20帖 19440723日 第二十帖 (六二)
てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、岩戸開きぞ。

→てんし様=天皇と仮定すると、令和元年に三四五が終わっていることからも、やはり・・・。

第3巻 普字 6帖 19440815火 第六帖 (八六)
三四五(みよいづ)から五六七(みろく)の世になれば天地光りて何もかも見えすくぞ。

→2019年の令和元年に三四五が終わり、五六七の世が始まったと仮定する。
すでに既存のお金・物質社会が崩壊しつつあり、インターネットにより情報は万人に開かれ、スマートホンが全世界に行き渡ったことで、悪事がすぐにネット上に流れて悪人が隠れる場所がなくなったとも考えられる。

一二三の期間が1892年~1944年(52年間)
三四五の期間が1944年~2019年(75年間)
五六七の期間が2019年~?

という感じである。

岡本天明氏が1944年に日月神示を降ろし始め、神の指示の本に奥山・中山・一宮・・・と神を祀り、天之日津久神奉賛会・至恩郷を作り・・・そして岡本天明氏が死去後、至恩郷が2007年に解散。関係者が去っていき誰も居なくなったタイミングで、2011年東日本大震災により国常立大神様が表に現れ、2019年に令和になるタイミングまでが、三四五の御用だったのだろう。

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