38帖 第三十八帖 (三八)
残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、死んでからまた生き返るぞ、
→この度の神仕組では、イザナギ・イザナミが仲違いした千引の岩戸が開かれることにより、黄泉の国と現実世界とがつながるとされています。
黄泉の国は死後に行く世界でありますが、神界と霊界・現実界とは表裏の関係であります。
今回の仕組では全世界の大陸が作り変えられる訳で、結局人間は誰ひとりとして生き残ることができない破局的なことが一度は起こるのでしょう。けれどもその後に、新しく生まれ変わった地球に生まれ変わる事ができるわけです。
三分の一の臣民になるぞ、これからがいよいよの時ざぞ。日本の臣民同士が食い合ひするぞ、かなわんと云うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ。神にシッカリと縋(すが)りて居らんと何も分らんことになるから、早く神に縋りて居れよ、神ほど結構なものはないぞ。
→日本人が1/3になるような出来事がこれから起きるとされています。江戸(東京)は原爆や水爆により焦土と化し、北からはロシア、西からは中国、南からは米英連合・・・と日本を盗ろうと四方八方から世界の国々が押し寄せてくる寸前の状態が、2021年11月現在だと感じています。
これから起きることは、第二次大本事件で起きた「大本の徹底的な破壊」をひな形とした現象です。1500発ものダイナマイトにより大本の神殿が破壊され、各地の支部も徹底的に破壊し、「大本教という宗教がこの世から完全に無くなるまで」徹底的な破壊が行われました。
これの現れが、2021年以降の日本で起きるわけです。
→「三分の一の臣民になるぞ」とあるように、 1億3000万人ほどの人口が3700万人ほどになるまで殺戮が続いたあと、残った日本人は食べ物や飲み物を奪い合うような凄惨な状況になる、とあります。なので実際生き残れる人はほぼいないような、過酷な状況になるでしょう。
→「 かなわんと云うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ 」とあります。国内がこのような過酷な情勢になるために、日本に居続けるのは誰がどう考えてもありえないという状況になるでしょう。
ただし、筆者としてはこれは推奨しません。もしこのタイミングで日本から離れアメリカなどの国へ渡ったとすると、もう神国の土を踏むことは二度とないからです。
上の帖にあるように、身魂磨きをして心を改めていないと、外国へと逃げていかなければならないでしょう。そうなると、もう二度とこの日本へと帰ってくることはできない。それは、弥勒の世に世が移り変わっても、神がそれを許さない状況になるわけです。
上の者が下に、落ちぶれた民 上になるぞとあるように、今は霞が関などでバリバリ働いているエリートたちを、交通整理のおじさんたちが見上げているような構造が、全く逆の状態になるわけです。
神にも善い神と悪い神とあるぞ、雨の日は雨、風の日は風といふこと分らんか、それが天地の心ぞ、天地の心を早う悟りて下されよ。
いやならいやで他に代りの身魂があるから神は頼まんぞ、いやならやめて呉れよ。無理に頼まんぞ。神のすること一つも間違ひないのぞ、よく知らせを読んで下されよ。ひつきのか三。
→「 雨の日は雨、風の日は風といふこと分らんか 」とあるように、晴耕雨読な生き方こそが神のやり方だということですね。
新しい世、弥勒の世になれば、雨風も必要なときに必要な分だけ得られるような世の中になるとのことです。が、今はアスファルトで大地を舗装したり、無駄に高いビルを林立させたりして、雨や風の神様の働きをワヤにしているわけですね。
昭和中期にもなれば道路もかなり整備されてきていたとはいえ、日本全体で見ればほんの数%の割合だったでしょう。
が、田中角栄のコンクリートから人へ政策により日本全土に高速道路や幹線道路が整備され、生活自体は大変に便利になりましたが、裏を返せば国常立大神様との関係を保つための大切なお土を覆ってしまったわけでもあります。
最終的にこういった無駄なものは全て取っ払ってしまうことになるのでしょう。
39帖 第三十九帖 (三九)
地震かみなり火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。カミカカリが沢山出来て来て、わけの分らんことになるから、早く此の理(みち)をひらいて呉れよ。神界ではもう戦の見通しついてゐるなれど、今はまだ臣民には申されんのぞ。改心すれば分りて来るぞ、改心第一ぞ、早く改心第一ざ。ひつくのか三。
→「地震かみなり火の雨降らして~」の下りは
鳥取地震(1943年9月10日 M7.2)
昭和東南海地震(1944年12月7日 M7.9)
三河地震(1945年1月13日 M6.8)
昭和南海地震(1946年12月21日 M8.0)
の4年連続地震を表していると思われる。かみなり火の雨は言うまでもなく空襲だ。
→「カミカカリ」は神懸かりであるが、神懸かりにも色々とあるようだ。キツネやたぬきなどの動物霊などの低級な霊は神示を読み始めたような(まだ身魂磨きが進んでいない)人に対して感知しやすく、注意が必要だ。
日月神示では上のようにカミかかりについて戒めている。
「お前は救世主だ」「キリストの生まれ変わりだ」といった風に、狡猾に自尊心を揺さぶり、キチガイ地味た行為(俺は神だ!俺様が神示を新たに書いてやった!お前ら読め!といった風に)に道を外してしまうよう、言葉巧みに頭の中に声が響く事もあるだろうが、決して耳を貸してはいけない。
筆者は10年以上かけて日本全国の神社を廻り、「この度の岩戸開きで一人でも多くの人が神仕組みあることに気づき、一人でも多くの人が助かり弥勒の世に至れますように、どうかお働きをよろしくお願いします」と頭を下げてきた。平時から神社をめぐり、神様に対してご挨拶をしておくことで、自身の与えられた使命を果たせると思ったからだ。
愛と善を満たし口心行をあわせ・・・というのは大変に難しい。この状態は日々の仕事や生活に追われる我々には、人の嫌なところも目にするし、色々なトラブルに巻き込まれて嫌にもなる。そういう瞬間に、心が愛や善から離れてしまい、「誠の神がかり」状態から外れてしまうのが常だ。
→サニワとは自分に憑いている霊が高級霊か動物などの低級霊かを判断する事。その手法は様々あるが、額に温かみを感じるものが高級霊、首筋に来る寒気は低級霊といった形で、色々な見分け方があるが、低級霊も言葉巧みにあなたの道を外そうと画策してくるため、素人には判断が非常に難しい。なので、基本的に霊かかり(こっくりさんとか)はやめたほうが良い、と書いてあるわけだ。
→「 外はウソが多いぞ。内の声ウソないぞ 」というのは、外から声が頭に響くようなものは、大抵の場合が低級霊によるものだ、ということだ(まれに守護霊からの強い警告として声が聞こえることはある)。大抵の場合は命令口調で「あれをしろ」とか「あれはああだ」と断定する言葉が多い。
うちからの声と外からの声を判断するのはかなり難しいが、その言葉に愛や優しさが含まれていない場合は、疑うのが吉だ。
「誠の神がかり」状態に入っている人は、神がかっている事が他人から分かってはならない。あくまで一般人として振る舞うべきだ。
かみがかりと分からないかみがかりは、どこから見てもただの一般人にしかみえない人になれということだ。筆者はこんなサイトを作っているが、リアルではこういった宗教的な話は全くしない。
そもそも高級霊になればなるほど「頭に声が響く」といった形では感知できない。瞑想や呼吸法などで心を鎮め、 額から神気を頂き、体全体に愛と善の気を満たした状態で瞑想をするとか、高位な神社に行くと神様を感知できる事がある。
そのときは言葉で司令をもらうとかそういう形ではなく、自分の身の回りに今まで起きてきた様々な出来事の結果、自分がこの場所に導かれ、そして既に自分が成すべきことが分かっていることに気付かされるのだ。
瞑想・神社や山で神気を頂く時は額から光の玉のように入り込み、愛と善が全身に広がる。その時いただける神気は時によりけりで、例えば精神的に疲弊して気が尽きている場合は気の補充を、また使命を果たすべきときが来たときは、その使命に気付かされたりする。その後は不思議と導かれるように物事がすらりすらりと進む。間違った道に進むと途端に物事が頓挫するような出来事が起きる。
また、高級の神霊が来たときは、動物を伴う事があるようだ。筆者の場合、菜食二食で毎日5時間程瞑想し、人々の平安と岩戸開きが成ることを願い続ける瞑想を行い、人生のなかで数回だけ第七チャクラが開く経験をした時期があった。
そのころ、日課で会社の近くにある祠で瞑想をしていると、なんとニホンカモシカが祠の側まで歩いてきて私のすぐ側まで寄ってきたのだ!
40帖 第四十帖 (四〇)
北も南も東も西もみな敵ぞ、敵の中にも味方あり、味方の中にも敵あるのぞ。きんの国へみなが攻めて来るぞ。神の力をいよいよ現はして、どこまで強いか、神の力を現わして見せてやるから、攻めて来て見よ、臣民の洗濯第一と言って居ること忘れるなよ。一二のか三。
ダウンフォール作戦。
1945年夏頃に計画されていた本土上陸作戦だ。もしもあのまま戦争が続いていたら、西は中国、北はロシア、南は米国といった風に、日本に外国の部隊が上陸していたことになる。
岡本天明氏らが置かれていた状況は、まさにこのような日本侵略の寸前の状況だった。
北はロシアからの進行により日本はまさに「千切り」となる寸前であった。が、終戦を迎えてアメリカに実質的に占領されることで、日本はかろうじて国体を保ったことになる。
が、これは神界からみれば「ギリギリのところで止まった」状態であり、あくまで休戦状態である。
時が来たら、この休戦状態が解かれ、日月神示にある「日本の国が千切りになる」ような分割統治状態になると予想されているのだ。
ここでは「孫の代」とまでかかれている。「曾孫の代」とまでは書かれていない事に意味があると考えてしまうのは、私だけだろうか?
1944年にこの神示が降ろされ、戦後から70年あまりの時間が経過し、まさに今はこの神示がかかれた当時から「孫の代」になった。
気長にかかりている悪の神も、いよいよしびれを切らしているころではないだろうか。
41帖 第四十一帖 (四一)
人の知らん行かれん所で何してゐるのぞ。神にはよう分って居るから、いよいよといふ時が来たら助けやうもないから、気をつけてあるのにまだ目さめぬか。闇のあとが夜明けばかりと限らんぞ。闇がつづくかも知れんぞ。
→ 「人の知らん行かれん所」というのは、 1944年でいえば旧日本軍による人体実験、毒ガスなどの特殊部隊らの事か。また戦時中であるから虐殺、暴行など多発していただろうし、こういった悪事に手を出す日本人達を戒める意味でもかかれた帖かと思います。
令和の現在で言えば、今の腑抜けになった日本人達や、人目につかない場所で悪事を働くグローバリスト達の事を意味していると私は捉えています(エプスタイン事件など)
世界を牛耳っている闇の勢力により作られたという噂のある「ジョージア・ガイドストーン」には「人口5億人を目指す」といった風にかかれています。
その他のことは地球環境を守ろう的な感じなのですが、1行目の異様さがとにかく目を引きますね。
コロナウイルスとワクチンも、この人口削減計画の一環ではないかと思い、筆者はワクチンを摂取していませんよ。
何もかも捨てる神民、さひはひぞ、捨てるとつかめるぞ。ひつきのか三。
→「捨てるとつかめる」の究極は、日月神示を捨てることです。
筆者は1999年頃、当時新卒で入社した会社を辞めることになり苦しい境遇にあったときに日月神示を読み始めました。
それから心を入れ替え必死に仕事をしましたが、結局怒涛のように不幸が連続して訪れて潰れてしまい、「この神示はヤバいなぁ・・・」と神示を捨てました。
しかしその後色々とあり、再び神示を取り、日本全国神社めぐりの旅を十年かけて行いました。
そんなこんなで20年余。コロナが来て、いよいよ日月神示にあるような出来事が来るのではないかという確信が持てるような状況になり、今に至るわけです。
いざ大峠が来てから「あぁ!日月神示を信じます!」といっても、この長い時間をかけた課程がないため、その信仰心はすぐに揺らいでしまい、神様にとって役に立たない訳です。「信仰」というのは、確信が持てるようになるまでに様々な課程を踏まなければなりません。
神示を読み始めれば、神が「うーん、コイツはモノになるかもしれんから、さっさとカルマ晴らしさせておくか」と、不幸が連続して訪れます。前世より詰んだ様々なカルマを解消しないと、自身に訪れる様々なトラブルが前世のカルマ由来なのか、それとも神様からの警告によるものなのかの判別がつかないんです。
なので前世由来+今生で積んだカルマを晴らしてしまえば、あとは神様からの警告を感知しやすくなります。
筆者の例でいうと、著しく体調を崩した時にどうしても肉食をせざるを得ない状況になった頃があります。これ事態は止む終えない面もあったのですが、病気がほぼ完治してきた頃に肉食をしようとした時、喫茶店であやまってコップの水を盛大にこぼしてしまい、店員さんにムッとされました。
その時は「嫌な目にあったな~」程度に感じたのですが、翌日その喫茶店でモーニングセットを注文したときに一切れ鶏の唐揚げがあり、「あぁ~どうしようかな」と悩んでいた最中、店員からトレーを受け取る瞬間コーヒーがトレイ内に盛大にこぼれてしまいました。
店員さんは「あぁ、スイマセン!」とすぐコーヒーとトレイを変えてくれたのですが、昨日の今日同じようなことが続いたため、「あぁ、体はもう治ったから神が肉食をするなと戒めているのだな」と分かった訳です。
このように、自身の背負っている大きなカルマを解消すると、誤った判断をしたときにすぐに分かるように神様がお示しを下さることになります。今回は「同じようなトラブルが2度連続して起きる」ということでハッとさせられたわけですが、神様の気づきはこのように「珍しいことが連続して起きる」ことで、気付かされる事が多いのが特徴です。
42帖 第四十二帖 (四二)
初めの御用はこれで済みたから、早うお山開いて呉れよ。お山開いたら、次の世の仕組書かすぞ、一月の間に書いて呉れた神示(ふで)は「上つ巻」として後の世に残して呉れよ、これから一月の間に書かす神示は次の世の、神の世の仕組の神示ざから、それは「下つ巻」として後の世に残さすぞ、その積りで気をつけて呉れよ。御苦労なれども世界の臣民の為ざから、何事も神の申すこと、すなをに聞いて下されよ。七月の九日、ひつくのか三かく。
→1944/7/10~12 榛名山の神業(岡本天明氏)。富士山より三十里四里離れた榛名山(蛇が岳)に天之日津久神をお祭りした。
「上つ巻」と「下つ巻」の間に期間が合いているのは、この間に榛名山での神行に向かったのだろう。
さてこれで、上つ巻の解説終了と相成りました。
2021年10月頃に御嶽山の御嶽神社へ赴き国常立大神様へとこの度の三千世界の岩戸開きの御神業に感謝の意をお伝えしましたが、その際に額から神気を頂きました。
その後、この上つ巻の解説をはじめましたが、自分でも驚くようにすらり、すらりと解説を書いていけたことに正直びっくりしています。
ここに書いてきた様々な知識・経験の類は、筆者が18歳の頃に日月神示に出会い、20年余りをかけて積んできたものです。もちろんこの解説が全て正しいわけではないと思いますが、「こういった考え方もあるんだな」と参考にしていただければ幸いです。
日月神示を読み解くには、日月神示だけを読んでいては駄目だというのが、私の結論です。
岡本天明氏が活躍した1944年前後の日本の歴史をよく勉強し、彼らがどういった状況で戦時中にこの神示を降ろし、解読していたのか、その背景をよく調べること。
そして1900年前記の天理・金光・黒住・大本といった一連の神仕組の流れについてなるべく勉強すること。
特に大本に関しては大本神諭・霊界物語といった経典をできる限り読み、当時出口王仁三郎聖師や出口なお氏を中心とした大本に何がおこったのかをよく調べること。
またシオン長老の議定書により悪の仕組の概要をよく知り、世間で「陰謀論だ」と言われているような出来事を疑いつつも一応は調べてみて、自分なりの考えを持っておくことがが大切と思います。
また日月神示はシルバーバーチの霊訓の影響を強く受けているため、シルバーバーチに関してもよくよく目を通しておいて下さい。
コメント
いつもありがとうございます。
たいへんためになっております。
今後ともお気持ちのつづくかぎり、情報提供を行っていただければ幸いです。