7帖 19440617土 第七帖 (七)
いくら金積んで神の御用さして呉れいと申しても、因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。御用する人は、何んなに苦しくても心は勇むぞ。この神は小さい病直しや按摩の真似させんぞ、大き病を直すのぞ。神が開くから、人の考へで人を引張って呉れるなよ。六月の十七日、一二のか三。
→日月神示には繰り返し「金は邪魔になる」と説いています。
「お金を稼ぐ」というのは必要なことなのですが、お金を稼ぐためにはグレーなことをしなければならないことも多く、身魂磨きの邪魔になってしまうんですね。
日月神示は当初、カナと数字混じりの文章で普通の人にはさっぱり読めなかった訳ですが、様々な関係者が集まり少しずつその内容が解読されていった経緯があります。そういった中で「神様の降ろした預言書がある」という噂が広まり様々な人が集まってきました。
その途中で熱心な信者は「お金を出すからなにか仕事をさせてくれ」という人もいたでしょう。ただ逆に、神示をお金儲けの道具として使おうという人たちもたくさん現れたようです。
自分の宗教のだしにしようとか、翻訳した日月神示を著者に無断で製本して高額で市販したという例もあります。
そういった行為もまた、「神示を世に広める」という意味では意味があったのかとも思います。所詮我々のすることは神様の手のひらの中ですから。ただ悪の御用はもう済んだといえる時期でもあるので、そろそろ身を改める時期と思いますが。
8帖 19440617土 第八帖 (八)
秋が立ちたち、この道ひらくかた出て来るから、それまでは神の仕組書かして置くから、よく読んで腹の中によく入れて置いて呉れよ。その時になりて、あわてて何も知らんといふ様ではならんぞ、それまでに何もかにも知らして置くから、縁ある方から、この知らせをよく読んで腹の中に入れて置いて呉れよ。六月の十七日、ひつくのか三。
→天明とその関係者一行は、榛名富士の神行を1944年7月頃に行っている。
その後、1944年8月8日立秋に代々木深町の天明の宅に「奥山」が奉斎された(岡本天明伝p171)
この「この道ひらくかた」が誰なのかは不明ではあるが、当時の関係者の一人だろう。
9帖 19440617土 第九帖 (九)
この世のやり方、わからなくなったら、この神示録(しるし)をよまして呉れと云うて、この知らせを取り合ふから、その時になりて慌てん様にして呉れよ。日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。その時にお蔭を落さぬやう、シッカリと神の申すこと腹に入れて置いて呉れよ。六月の十七日、ひつくのか三。
→日月神示を取り合う、という出来事がいずれ生じるとあります。今の日本(というか世界)は「この世のやり方わからなくなったら」という状態に近づきつつあるようですが、実際のところは大峠の最中ということと思います。
ヨハネの黙示録12章 「大警告」
ヨハネの黙示録にあり、様々な預言者により幻視されてきたとされる「暗黒の3日間」。この間は人工的な光は使えず、ロウソクのみが明かりを灯すことができるとか。
単純に考えればスマホやパソコン・インターネットなども使えなくなるため、書籍化された日月神示しか読むことができない状態になるでしょう。
うえのぴよぴーよ速報で電磁パルス攻撃について記載がありますが、要するに天空から降り注いだ大量の電子により、既存の電化製品がことごとく使用不可能になってしまうような出来事がおきる、ということですね。
「天におひさまひとつでないぞ、2つ3つ4つ出てきたら~」という下りからも、筆者は一厘の仕組にベテルギウス超新星爆発の影響を予想していますが、 ガンマ線バーストと呼ばれる放射線などが地球全土を覆い、電子製品や我々の体に特殊な変化を起こしてしまうのではないかと推測します。
こういった状態になった時、人々は救いを求めて神示を奪い合う、なんてことになるのかもしれませんね。
→一度はつぶれたようになるという記述は、1944年6月という神示が降ろされた時点で、本土空襲により日本が壊滅的な被害を受けることを予言していたと考えて正解でしょう。我々にとっては既に過ぎたことではありますが、「同じようなこと二度繰り返す仕組」とあるように、我々にも彼らを襲ったような日本の滅亡危機を経験するようなときがくるのかもしれません。
10帖 19440619月 第十帖 (一〇)
神に目を向ければ神がうつり、神に耳向ければ神がきこえ、神に心向ければ心にうつる、掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。掃除出来た方から神の姿うつるぞ、それだけにうつるぞ。六月十九日、ひつくのか三。
→筆者は幼少期から頭に女性の声が響いたり、危機的な状況に陥る前に強い男性の声が響いたりといった経験がありました。
幼少期の私は非常に頭が悪く、体も弱かったのでよく虐められたのですが、ある時暴走族のリンチに遭う機会がありました。彼らの集会の会場の前をうっかり通ってしまったんですね。その少し前に男性の声で「行ってはいけない!」と強い声が頭に響いていたにも関わらず・・・。
あれ以来、私は内の声についてはかなり慎重に聞く事にしています。
自身の魂の波長が低いほど、動物霊・低級霊の声は聞こえやすくなります。魂の波長がそういった低い霊と合いやすくなるわけですね。日月神示を読み始めた頃はまだまだ魂が磨かれていませんから、この時点での様々な誘惑(お前は神だ、救世主だ、キリストの生まれ変わりだ)といった欲を煽るような言葉の類)は間違いなく低級霊に馬鹿されている状態ですね。
高位の神霊になればなるほどその声は聞こえず、感覚的に暖かかったり、愛と歓喜(これがおそらく神気)が額を通して体に優しく流れ込んできます。高位の霊になればなるほどその神気は感じ取ることが難しく、深い深い瞑想の果にようやくたどり着けるものです。
この神気を体に取り入れることができるまでは、長い長い身魂磨きの業が必要になることが多いでしょう(私の場合は20年余りかかりました)
経験則ですが、この神の愛と歓喜を直に感じられるような深い瞑想状態に至るまでに、肉食がとても邪魔になります。肉食は神の摂理から離れており、間違いなく神から嫌われます。
なぜなら神は愛と歓喜そのものだからですね。生物を殺して食べるという行為は、最も愛と歓喜から離れたところにあるものだからですね。
ただ、私自身もそうだったのですが、菜食二食を続けると体調を著しく崩します。日月神示の著者である岡本天明氏もそうであったように、厳しい菜食 制限食 (神示を降ろすかみがかり状態になる前は一日一食、食事を摂らないこともあったらしい)をすることで、徹底的に肉体を追い詰めないと、本当の神がかり状態にはなかなか至れないものです。
私も上で述べた神の愛と歓喜を直で感じる瞑想状態に何度も入れる状態になった頃に、著しく体調を崩して食生活を改め直さざるを得ませんでした。私は瞑想中にほぼ呼吸が停止していた事も、体を壊した原因の一つと思います。
私の体はかなり傷つき、長い間立って居られないほどに衰弱してしまいました(このブログを更新できなかった時期)
インドのヨガでいう「チャクラを開く」という行為ですが、日月神示を読んでいると徐々にチャクラが開いていくようです。ただこれも段階が有り、いきなりチャクラを開いてしまうと幻覚や幻聴に惑わされて道を外してしまう人が出てきたり、私のように著しく体調を崩すような人も現れるので、ヨガの世界では厳しく戒められています。
私は20年余もの修行を経て、一時期第七チャクラが開いたことがありましたが、その反動で体調が一気に崩れてしまいました。
身体的に回復するまでに1年ほど必要になってしまいました。が、神の愛と歓喜に体が満たされたあの瞬間は、この世の中で味わえる幸せの中で間違いなく最上のものでした。神人合一というのはあの状態なのだ・・・と。
私はまたあの状態に到れるよう、再び努力を始めます。
神様もこの度の神仕組の役に立てようと様々な縁のある人を、幼少の頃から手を引いて導いてきているようです。が、うまく育たず道を外してしまった方も多くおられたようで、「残念だ」という旨のことを書いてある帖もあります。霊的な魂の開発は、一度に行うと気が触れて狂人になってしまう事もあるようです。
大峠ではこのチャクラ開きが強制的に行われるという話を聞きました。もしそれが本当ならば、かなり恐ろしいことだと思います。
故に順序を守りつつ、体に気を遣いながら、段階的にチャクラを開くよう、早め早めに身魂磨きをしていきましょう。
究極的には「いつも神かかっている様に」なることが必要なようです。が、現世は様々な欲や苦しみ・哀しみが存在する以上、「誠の神がかり」状態になり続けることは難しいことです。
筆者の経験的では人間の魂の波長というのはどうも波があるようで、一時的に魂が清まるようなことが起きた後、その後は逆に魂が汚れるような出来事が生じました。しかし少しずつですが、清濁を繰り返しながら、徐々に魂のレベルが上昇していくようです(あくまで私の経験則です)
なので一時的には神がかかったような状態になった後に、再び元の状態に戻ってしまうのは普通のことなので、めげずに身魂磨きをしていきましょう。
11帖 19440619月 第十一帖 (一一)
いづくも土にかへると申してあろうが、東京も元の土に一ときはかえるから、その積りでゐて呉れよ。神の申したこと違はんぞ。東京は元の土に一時はかへるぞ、その積りで用意して呉れよ。六月の十九日、一二のか三。
→この帖の特徴的なのは「東京が元の土にかえる」という旨を、二度繰り返していることです。要するに、「東京が土に返るような出来事が二度起きるぞ」と書いてあるわけですね。
一度目は当然、東京大空襲により東京が焦土になったことを意味します。
このような悲惨な状況が、何らかの出来事により再び繰り返されるというのが、この帖の言わんとしているところでしょう。
日月神示には「同じことが二度繰り返される」という記述が各所にあります。
負けたようになってしまいには勝ち~という文句もそうですね。
第二次大戦で日本が焼け野原になった後に再び奇跡的な復興を遂げたように、同じ様にまた日本が壊滅的な状況に陥るというのが、国常立大神様の言わんとしている事でしょう。
それが、戦争によるものなのか、大震災によるものなのか、それとも両方なのか・・・?
それは神示を読み進めれば、自ずと分かってきます。
12帖 19440621水 第十二帖 (一二)
大将を誰も行かれん所へ連れて行かれんやうに、上の人、気をつけて呉れよ。この道はちっとも心ゆるせんまことの神の道ぞ。油断すると神は代りの身魂使うぞ。六月の二十一日の朝、ひつくのか三。
→ここでいう「大将」とは誰でしょうか?
東京裁判で死刑となった東条英機氏の事のような気もします。が、私にはいまいち判断しかねます。
13帖 19440621水 第十三帖 (一三)
元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九の身魂あれば、この仕組は成就するのざ、この五十九の身魂は神が守ってゐるから、世の元の神かかりて大手柄をさすから、神の申すやう何事も、身魂みがいて呉れよ、これが世の元の神の数ぞ、これだけの身魂が力合はしてよき世の礎となるのざ。この身魂はいづれも落ちぶれてゐるから、たづねて来てもわからんから、よく気をつけて、どんなに落ちぶれている臣民でも、たづねて来た人は、親切にしてかへせよ。何事も時節が来たぞ。六月の二十一日、ひつくのか三。
→日月神示が降ろされた最初期のメンバーの事でしょう。
三柱は天明・都筑太一・佐々木精治郎。この三名他?で上つ巻と下つ巻の間の日に榛名山(蛇が岳)へ赴いている。(岡本天明伝 P162)
その後、日月神示が広まるに従い、様々な関係者が集まって「 五十九の身魂 」が揃い、日月神示が担当する御神業は、ある段階で完了したのでしょう。
奇しくも彼らは既にこの世を他界している方々ばかりでしょうから、彼らは弥勒の世を見ること無くこの世を去ったことになります。まさに「よき世(弥勒の世)の礎」となられた方々ですね。
14帖 19440622木 第十四帖 (一四)
この神示(ふで)よく読みて呉れよ、読めば読むほど何もかも分りて来るぞ、心とは神民の申す心でないぞ、身魂とは神民の申す身魂でないぞ、身たまとは身と魂と一つになってゐるもの云ふぞ、神の神民身と魂のわけ隔てないぞ、身は魂、魂は身ぞ、外国は身ばかりの所あり魂ばかりの所あり、神は身魂の別ないぞ、この事分りたら神の仕組みがぼつぼつ分るぞ、身魂の洗濯とは心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ、よく気をつけて呉れ、神の申すことちがはんぞよ。六月の二十二日、ひつくのか三。
外国は体が主体の国(中国)もあれば、霊が主体の国(インド?)もあり、力が主体の国(アメリカ)もあり・・・と様々ですね。
この帖の趣旨は、国常立大神様・素戔嗚命を日本へと封印した悪の勢力を理解しろ、ということです。そのためには、下記の帖が解読に役立ちます。
●悪の三大将
邪鬼:ユダヤ
ヤマタノオロチ:ロシア
金毛九尾白面:インド(うしおととら参照(笑))
●二大悪神
力主霊従:アメリカ(強いもの勝ち・弱肉強食)
体主霊従:中国(物質主体・自己中心)
(日月神示 完全ガイド&ナビゲーション P45)
これら悪の勢力が集団となり、元の神々様を日本の地へと追いやった訳ですね。
元の神々様を封印する時、「炒り豆に花が咲くまで出てくるな」と言い放ったとありますが、炒り豆に花が咲くわけも無く「二度と出てくるな」と言い放った訳です。ひどいですね。
けれども大本の経典 大本神諭には「炒り豆に花が咲く」という記述が各所にあり、「まさかそんなことが」と思うようなことが、これから起きてくるのでしょう。
15帖 19440624土 第十五帖 (一五)
今度は末代動かぬ世にするのざから、今までの様な宗教や教への集団(つどひ)にしてはならんぞ、人を集めるばかりが能ではないぞ、人も集めねばならず、六ヶ敷い道(おしへ)ぞ。縁ある人は早く集めて呉れよ、縁なき人いくら集めても何もならんぞ、縁ある人を見分けて呉れよ。顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ、顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ。やりかけた戦ぞ、とことんまで行かねば納まらん。臣民一度は無くなるところまでになるぞ、今のうちに この神示よく読んでゐて呉れよ。九月になったら用意して呉れよ。六月の二十四日、ひつくのか三。
→日月神示は宗教ではなく、道である、という記載は、下記の帖が参考になりますね。
日月神示を読み進め実践していくうちに、元の神様の意に沿った生き方をするにはどうすればよいか、というのを常に考えながら生きるようになっていきます。
そして自身の仕事や趣味に対し、その考え方が波及していくわけですが、それこそ「 ゝ 」を入れるという行為になるのではないかと思います。
例えばAとB案があり
・A案:人をリストラして大きく採算性をあげられる案
・B案:人をリストラせず採算性あまりあげられない案
といった2つの案があるとき、「天道人を殺さず」の神示の教えからB案を取る、という感じですね。例えA案を採用したこと出世したとしても、「他者をないがしろにした」というカルマを積んでいるためどこかの段階でそのカルマが噴出し自身がリストラされるような目に遭う訳です。
逆にB案を採用した場合、その場では出世しなくても「他者を救った」という事から徳を積んだ為、どこかで幸せがやってくるという感じですね。
16帖 19440624土 第十六帖 (一六)
ひふみの火水とは結ぞ、中心の神、表面に世に満つことぞ、ひらき睦び、中心に火集ひ、ひらく水。神の名二つ、カミと神世に出づ。早く鳴り成り、世、新しき世と、国々の新しき世と栄へ結び、成り展く秋来る。弥栄に神、世にみちみち、中心にまつろひ展き結ぶぞ。月出でて月なり、月ひらき弥栄え成り、神世ことごと栄ゆ。早く道ひらき、月と水のひらく大道、月の仕組、月神と日神二つ展き、地上弥栄みちみち、世の初め悉くの神も世と共に勇みに勇むぞ。世はことごとに統一し、神世の礎極まる時代来る、神世の秘密と云ふ。六月二十四日、一二ʘ 文(ふみ)。
→火水はヒミズ=秘密。火は「ゝ」を暗示し、水は「○」を暗示しているようです。
→「 中心の神、表面に世に満つこと 」:ʘはゝが○の中に入っている形ですが、その発生源がゝからであるか、○からであるかが重要である、ということのようです。その途中経過が「ට(渦)」です。
今の世の中は「◯」→「 ୭」→「・」を目指そうとしているが、正規のやり方でないから、いつまでたっても神様の真意である「・」には至れない。
逆に神様は「・」であるから「・」→「ᘒ」→「ʘ」と至ることが正規のやり方ですが、 ごくごく小さい神様の「・」をどれほど回転させても、なかなか「ᘒ」は広がっていかないので、これら2つの動きを併せて行うというのが、「 弥栄に神、世にみちみち、中心にまつろひ展き結ぶぞ 」という正しいやり方なのでしょう。
→「神の名2つ」は、本来イザナギ・イザナミは島産み後の神産みは2柱ずつ生み出されていたが、千引の岩戸事件を堺に、1柱ずつしか生み出すことができない状態になってしまったことが問題だったということですね。
→島産み後、夫婦神で2柱、同じ神様を生んでいる。
→火の神を生んでイザナギ神が亡くなった後は、1柱の名で生んでいる。
本来、これは2柱でなければならないようだ。
「カミと神世に出づ。」とあるように、神は「カミ」と「神」というように漢字とカナの2柱があり、大峠のクライマックスでは欠けている方の神が、この現世に出てくるのでしょうか。
「 月と水のひらく大道、月の仕組、月神と日神二つ展き、地上弥栄みちみち、世の初め悉くの神も世と共に勇みに勇むぞ 」
→月は黄泉の国の月読尊、水は海原の神である素戔嗚命、日は天照大神。本来この3柱の神様がご協力して世界を運営していくはずが、黄泉の国への扉は閉ざされ、海原の神 素戔嗚命は国常立大神様と共に日本に封印され、本当の天照大神はまだ岩戸の中におられる、という状態が今の状態です。
要するに神話のこの3柱の神様はすべて封印されており、それが表面に出てくるというのが、これからくる「岩戸開き」なのですね。
→今の太陽神 天照大神様は、天照大神様が岩戸にお隠れされた時、
・天照大神様より美しい神が現れたという「嘘」
・天宇受賣命の「淫乱」
・天手力男命により無理矢理引き出したという「暴力」
という3つの間違いにより開いた、間違いの岩戸開きであったというのですね。
そして不正により開かれた岩戸開きの後の世は、嘘・淫乱・暴力の支配した現在の世界へとつながるというのが、現在の破滅的な状況を招くことになった根本の原因だよ、と説いている訳です。
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