日月神示と時節

2020/5/31 蝗害イナゴと世界的食糧危機と日月神示

日月神示と時節

ソマリア・エチオピアから生じたバッタがインドへ

世界がコロナウイルスによる被害にあえぐ中、同時期に問題になり始めたサバクトビバッタによる蝗害の影響が深刻化している。
サバクトビバッタは通常は孤独性でおとなしいが、食べ物がなくなると集団性へと変化し、大群で移動しながら作物を食いあらす習性があるのだ。

通常、バッタは農薬などによる駆除で対応できるが、ソマリア地域での紛争によりバッタの駆除まで手が回らず、バッタの増殖を招いた。
増殖したバッタは東方面へと向かい、サウジ・イラン・パキスタンを経てインドへと到達した。

https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20200307-00166447/7/

一時期はヒマラヤ山脈を越えて中国へと向かうのではないかと危惧されていたが、流石に2000m級の山々と寒さにはバッタも勝てなかったようだ。

しかし、様々な輸入品にバッタが混入し中国国内に持ち込まれるというケースが発生しており、予断を許さない状況となっている。
中国政府もこの状況を重く見ており、各地での稲作の開始、政府による食料の大量輸入など、来る食糧危機に対して準備を始めている。

日月神示には今回のことは書いてあるのか

ひふみ神示 第12巻 夜明けの巻 第三帖 (三二三)

 天の異変 気付けと申してあろが、冬の次が春とは限らんと申してあろが。夏 雪降ることもあるのざぞ。神が降らすのでないぞ、人民 降らすのざぞ。人民の邪気が凝りて、天にも地にも、わけの判らん虫わくぞ。訳の判らん病ひどくなって来るのざから、書かしてある御神名 分けて取らせよ。旧九月八日までに何もかも始末しておけよ。

日月神示には具体的に「イナゴの大群が発生する」という記載はない。
しかし、上の帖にあるように「天にも地にもわけの分からん虫がわく」という記載がある。
これが、イナゴのことなのかどうかまでは判断できないが、日月神示には繰り返し「世界中の食物がなくなるような事態が発生する」と警告されている(もちろん、日本国内の食料も無くなる、とある)

第14巻 風の巻 第十一帖 (三六二)

 日本の国に食物なくなってしまふぞ。世界中に食べ物なくなってしまふぞ。何も人民の心からぞ。食物無くなっても食物あるぞ、神の臣民、人民 心配ないぞ、とも食ひならんのざぞ。心得よ。

世界の食物がなくなってしまう事態というのは、今回のイナゴによる蝗害被害もそうだが、コロナウイルスの世界的蔓延による影響も無視できない。

安価な労働現と言われていた中国農村部の人たちの海外への出稼ぎがコロナウイルスにより難しくなったことで、日本やカナダなどで農業を営む事が難しいといったケースが発生している。
色々と問題のある海外実習生による農業従事問題だが、今回のことで日本の農業が危機に面しているのは間違いない。

食物がなくなり・・・共喰いにまでいく

第20巻 梅の巻 第十四帖

 日本には五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆人民の食ひて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、日本人には肉類禁物ぢゃぞ。今に食物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ、今度は共喰となるから、共喰ならんから、今から心鍛へて食物大切にせよ、食物おろがむ所へ食物集まるのぢゃぞ。ひたすらに神にすがりてお詑びせよ、それより他に今は道なし。

飽食の時代に生まれた現在の日本人。
本来は食べてはならない肉を食べ、酒に酔いしれて、今のままの世の中が常永久に続くと勘違いしているが、もうそのような時代が終わっている事に気づく人たちは少ない。
まさに「メクラ」の世の中で、「目明き」の人が少ないという風に、日月神示には書いてあります。

世界中で蝗害やコロナウイルスなどの被害により食物の輸出が制限されれば、食料自給率が40%を切っているような、食料品の海外輸入に頼っている今の日本が保たないのは火を見るよりも明らかだ。

そもそも食料品というのは、有事の際には「戦略物資」に位置づけられるもの。

タダでさえ香港の一国二制度崩壊の問題や台湾・フィリピンなどの中国の領海侵犯問題、そしてアメリカの黒人男性の白人警察官による殺害事件に端を発したデモ・暴動・略奪などで、日本を取り巻く国際情勢が悪化の一途をたどる中、日本は大規模な食料輸入・備蓄制作をとらなくていいのか?と心配になる。

日月神示には「共喰いになる」と書いてある。

ここでいう共喰いとは「四足(牛・馬・豚など)」の動物を食べることだという読み方がされてきた。人間に近いものを食べるということは、共喰いに等しいことだからやめなさい、霊性が下がって神様から離れていくことになるから、肉食はやめて穀物食になさい、それが日本の人民の本来の食物ですよ、と日月神示には書かれているわけです。

が、世界的な食糧危機により日本に食べ物がなくなるような事態になれば、飽食に慣れてしまった人たちは人肉食を始めるような事態になることも、容易に考えられます。

では、どうすればいいのか

肉食をやめて菜食へと移行しよう

じゃぁどうすればいいのよ!という方もおられると思います。それは神示に繰り返し書かれているように、まず「肉食をやめる」。
肉食をやめると体重は自然と減少していきます。私の場合、体重70kg→63kgまで自然と減少しました。

体重が減ると同時に筋肉も減り、消費カロリーが減少していきます。

ただ、肉食を何十年もしてきた人がいきなり完全菜食へと移行すると、腸内細菌が菜食に適正化されていないので非常に苦しい思いをします。
肉を見るだけでよだれがダラダラと垂れてきたり、焼肉の匂いに我慢できなくなったり・・・という症状は私が菜食へと移行する初期の段階で経験しましたが、それも1ヶ月ほど我慢すればなれてきます。

この症状を乗り越えられたのも神示を支えにできたからですが・・・一般の、何も知らないような人たちは、おそらく耐えることは無理でしょう。

一日三食から二食へと減らそう

日月神示では朝夕の日に2食食べよ、とあるように、現在の一日三食の生活はダメだということです。
一日三食から二食に減れば、それだけ食物の消費量は減ります。
また、体重が減少することで消費カロリーも減るというわけですね。

当然、安価な菜食への移行と食事量を減らすことで、食費も随分やすくなります。お金もたまっていきますよ^w^

霊性を磨こう

空腹に耐えられない・・・というのは誰しもが経験する事です。
私もなかなかなれず苦労しましたが、菜食一日二食を続けていくうちに霊が磨かれていき、空腹に対して耐性ができてきます。

私は朝4時頃に起きて神様に感謝瞑想をする習慣となっています。お腹がほぼほぼ空っぽな状態が、最も神様に通じやすくなります。食物がお腹に残っていると、肉体的な意識が強くでてしまい、なかなか神様と通じることができないのです。

神様と通じ、感謝・歓喜を頂くような生活スタイルになると、空腹の方が多くの神気を頂けるので、あまり沢山食べたいと思わなくなりました。

食べられる土がある

五十黙示録 第03巻 星座の巻 第十七帖

 土のまんぢうと申してあろう、土が食べられると申してあろう、土から人民を生んだと申してあろう、ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてあろう、土に生きよと申してあろう、地は血(智)であるぞ、素盞鳴命様であるぞ、その土が生長して果ての果てに皮をぬぐ、それが地変であるぞ。

最終的な段階になると全く食べ物がなくなるような状況になると日月神示には書かれています。
が、日本にはそれでも食べられる草や木があり、それを食べていればなんとかなる、最終的には「お土」を食べれば良い、とされています。

ひふみ神示 第03巻  富士の巻 第十一帖 (九一)

 神土(かみつち)は白は、「し」のつく、黄は「き」のつく、青赤は「あ」のつく、黒は「く」のつく山々里々から出て来るぞ、よく探して見よ、三尺下の土なればよいぞ、いくらでも要るだけは出てくるぞ。

食べられる土というのは、三寸下が3cm程なので、10cm程掘った下の土ならば良いということのようですね。

ひふみ神示 第02巻  下つ巻 第二十九帖 (七一)

 神の土出ると申してありたが、土は五色の土ぞ、それぞれに国々、ところどころから出るのぞ。白、赤、黄、青、黒の五つ色ぞ、薬のお土もあれば喰べられるお土もあるぞ、神に供へてから頂くのぞ、何事も神からぞ。

この食べられる土に関しては色々と解釈が分かれる所なのですが、私は「足を土の中に入れ、神気を土から頂くことだ」と解釈しています。
それは私が実際、お腹がすいた時に土を掘り、土に足を入れて足から神気を頂くことで、空腹感が消える経験をしているからです。

ひふみ神示 第04巻   天つ巻第二十九帖(一三六)

 民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。足 地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ、足からお土の息がはいるのざぞ、臍(へそ)の緒の様なものざぞよ、一人前になりたら臍の緒切り、社(やしろ)に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上 堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも裸足(はだし)でお土踏まなならんことになるのぞ、神の深い仕組ざから あり難い仕組ざから 喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。

人間は食物という物質的なもののみでなく、神気が無くては生きていけないのです。
神気は朝夕の礼拝・瞑想で頂くほか、呼吸や新鮮な食物を食べることにより得られます。
お土を食べるというのは、物質的に土を食べる事を意味するのではなく、神気を足より取り入れよ、ということなのかと私は思っています。

具体的な方法としては、
・三寸下(10cm)まで土を掘り、両足を入れる。
・足・手の末端から冷気が背筋を通り、胸を通って、額の鏡に充填されるイメージをする。
・呼吸のたびに、土から神気が背筋を通り額の鏡へと充填される。
(一二三祝詞やひふみゆらゆらを唱えても良い)

といった事を、満足いくまで繰り返します。

この工程は普段の瞑想で私が行っているもので、神気は土に限らず空気や天からも頂けるものです。ただ、天から頂く気と地から頂く気と空気から頂く気とでは、それぞれ性質が異なっているように感じます。

おそらくこれは、この道を長く歩んできた人やヨガに精通している人にしか分からないこととは思いますが、分かる人には分かる事だと思いますので、一度空腹時にお土に両足を入れてみて下さい。

コメント

  1. ひこいち より:

    だから縄文人は縦穴式住居なのか。

タイトルとURLをコピーしました