第2巻 下つ 23帖 19440730日 第二十三帖 (六五)
世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神々様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは 九(こ)の神でないと分らんぞ。
→ノストラダムス、ヨハネの黙示録、ヒトラーの預言、聖マラキの預言、聖徳太子の預言、ホピの預言、マヤ暦の預言・・・様々な終末預言が世の中にはあります。
それらの預言のピースを組み合わせていくと、最終的な状況は似たような状況になるようです。
興味があれば、色々と調べてみましょう。上にリンクを貼っておきます。
これらの預言を読み解く上で鍵となるのは、日月神示に書いてある「10年(~12年)程、計画が遅れている」ということです。
元々計画されていた「この世の終わり」の開始タイミングは、 これまでの世界が終わりを遂げて、キリストが新たな千年間を支配する至福千年期が訪れるというキリスト教の千年王国 の思想から考えて、2000年頃であったと考えられます。
神の計画は元々「ミレニアム」である2000年より弥勒の世を始めるつもりであったが、あまりにも世の中の乱れが酷いために、10年・・・そして帖が進むにつれて12年の「延長」がなされた。
この10年程ずれた後、311が起きて岩戸開きが始まったと筆者は考えています。
この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから、神の国の臣民は神の申す様にして、天地を掃除して てんし様に奉らなならん御役ぞ。
→我々は天地を掃除しなければならない立場なのですね。
筆者は今、数十年放置されたていたと思われる小さなお宮を掃除・修復しています。このお宮の近くでは死亡事故が起きていたり、大規模な土砂災害があったりと、以前から変な事が続いていました。
そのお宮を発見したとき、外壁は破損し、御神体は泥だらけ。あたりにはお酒の瓶などが散乱しとんでもない事になっていました。お宮は虫に食い荒らされており、崩壊寸前。
おそるおそる中を見ると神祭を行うときの台が。 その台を見た瞬間 、日月神示を読んでいる時に聞こえている老人の声で「捨てて良いぞ」と聞こえました。
その台を裏返してみると・・・なんと蟻塚になっており、数百匹の蟻が蠢いていました!
このときのおぞましさといったら・・・もののけ姫のタタリ神そのもの。当分忘れられそうにない。
私は これが 「タタリの原因だ」と直感し、蟻塚を除去。お宮全体を洗浄機で洗浄した所、それまでお宮周辺を包んでいたただならぬ雰囲気が消え、清浄な気になりました。
これほど変わるものなのか、とびっくりしながら帰路に着こうとすると、その途中でシロサギが私の車の前をまるで導くかのように飛んでいきました!3年この道を通っていましたが、シロサギを見たのは今回が初めてです。
私は帰宅後「神使」について調べました。
どうやら福井県の氣比神宮の使いが、シロサギのようです。
そこで後日、お宮の御神体の御札を見返すと福井の劔神社のものでした。氣比神宮は越前一の宮、劔神社は越前二の宮・・・そういうことか。
後日、氣比神宮へと足を運びました。道中、美しい虹を見る機会もあり、「これは神に導かれているなぁ」と実感。
氣比神宮につくと、なんとシロサギがいました!
その後、劔神社へと伺い、御札を頂きました。
今回の件は、なんとも不思議な体験でした(氣比神宮はアイキャッチ画像にしておきました)
江戸に神早う祀りて呉れよ、仕組通りにさすのであるから、臣民 我を去りて呉れよ。この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ、祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、神急けるぞ。七月の三十日、ひつ九のか三。
→この「秋立ちたら」というのは、「立秋(りっしゅう)」ですが、1944年の立秋は8月8日のようですね。
1944年8月8日以降、太平洋戦争の戦局が非常に厳しく、本土空襲なども始まり、日本の都市が爆撃により焦土と化していったのです。
問題は、「同じようなこと二度繰り返す仕組」とあるように、このような破局的な状況が再びこの日本に生じるという事ですね。
第2巻 下つ 24帖 19440730日 第二十四帖 (六六)
一が十にと申してありたが、一が百に、一が千に、一が万になるとき いよいよ近づいたぞ。秋立ちたらスクリと厳しきことになるから、神の申すこと一分一厘ちがはんぞ。改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、草の葉一枚でも神のものぞ。七月の三十日、ひつくのか三。
元々我々の世界は二次元的な八方向の世界であった。これが、縦軸が加わることで、平面的な回転運動が徐々にうずを巻いて登っていくことで、一~八+九+十=一二三四五六七八九十となる。
縦軸が加わることで面積が体積となり、「 一が百に、一が千に、一が万 (卍)」となり最終的には∞となる。
神界と現界は合わせ鏡であるから、岩戸開きにより限界側からの◯と、神界側からの◯が組み合わさって∞となる、と筆者は考えています。
が、これを頭で理解したところで、恐らくは人智の及ばないところなので、あまり深くは考えても仕方ない気がします(笑)
第2巻 下つ 25帖 19440730日 第二十五帖 (六七)
今度の戦で何もかも埒ついて仕まふ様に思うてゐるが、それが大きな取違ひぞ、なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。
→「今度の戦」は1944年時点の太平洋戦争でしょう。
今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、
→「 今に戦も出来ない 動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んこと 」というのはコロナウイルスにより世界が身動きできない絶望的な状況になる暗示でしょうか・・・。
現在、コロナウイルスのオミクロン株が猛威を奮っていますね。日本でもついに感染者数が500人を超えるなど、その勢いは留まることを知らない。
イギリス、アメリカ、ヨーロッパとコロナ感染者数が激増。今まではなんとかマスクやワクチンと行った対策で抑え込むことができましたが、オミクロン株はそのような既存の対策では抑えきれないほど、感染力が凄まじい。全世界がコロナ感染してしまえば、もう戦争どころの話ではない。
まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。 戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違はんぞ、間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。神は気(け)もない時から知らしてあるから、いつ岩戸が開けるかと云ふことも、この神示(ふで)よく読めば分かる様にしてあるのぞ、改心が第一ぞ。七月の三十日、ひつくのか三のふで。
→「 まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。 」というのは、コロナウイルスが全人類に蔓延し、経済も破綻し、お金が価値を失ってしまった後の状態とすると、人々は略奪・暴行し食べ物を奪い合い・・・という、少し前のアメリカの暴動状態を彷彿させるような、悲惨な最後が想像できますね。
このような状況になるのが、もう目の前に迫っているわけです。日本でももう、食べ物の価格も急激に上昇し始め、いわゆる「スタグフレーション」と呼ばれる状況になりつつあります。
コロナにより経済が停滞し、急場を凌ぐために全世界がお金を大量に印刷しました。これにより相対的に食べ物や燃料といった生活に必要なものの価格が急上昇してしまいます。
お金というものが、もはや意味を成さないような状況になると日月神示には書いてありますが、そのような状況になるのも、もうすぐな気がしませんか?
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