日月神示の解説 第1巻 上つ巻 解説

日月神示 第1巻 上つ巻 1~6帖 解説

日月神示の解説
ひふみ神示 音読 上つ巻 第1帖 2020 05 10 16 55 36

1帖 19440610土 第一帖(一)

二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るから みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。

岡本天明

→日月神示では今までの世の中はお金を主体とした「悪の世の中」であった、と解説しています。日月神示が岡本天明に降ろされはじめたのは1944年6月10日。まだ第二次世界大戦が終わっていいない昭和19年。


そんな中で、「令和の時代を預言していた」という預言書「日月神示」が、自動書記という形によって降ろされ始めました。

511 第23巻 海 19帖 19470823土 第十九帖三三(みみ)に一二三(ひふみ)聞かするぞ、愈々身実(みみ)に聞かす時ざぞ。それぞれ人に応じて時によって、口から耳に肚から肚に知らしてくれよ、あなさやけ、あなすがすがし、言答(いわと)開けたり、二十三巻で此の方の神示(ふで)の終り、終りの終りぞ、後の七巻は他から出してあるのざぞ、いづれ判りて来るぞ、合せて三十の巻、それが一つの節ざぞ、天明 御身(みみ)に聞かすぞ、よきにはからへ、この行中々ぞ。八月二十三日、ひつ九のʘ神示これまで。

以降、1947年8月23日のに至るまでの3年間、日月神示は自動書記という手法でひらがな・記号まじりの「普通の人には読めない」形で、断続的に降ろされることになります。3年以降は天日津久神奉賛会・ひかり教会といった組織だった活動の中で、断続的に神示が降ろされていきます。

生活に貧窮した岡本天明氏とその妻は、生活のために仕方なく神示の原文を手放したり、何者かに原文を盗まれてしまったり・・・ということが起きたようでした。

日月神示の信憑性については、このはじめの3年間のものは筆者的に信憑性が高いと考えています。これ以降は様々な宗教関係者が岡本天明氏の元を訪れ、お金儲けのために利用されたという経緯がありますので、筆者の中でまだ真偽が定まっておりません。
私自身もこのサイトの解釈作業を通し、成長していきたいと思っていますので、コメント欄で様々意見をいただけますと助かります。

※余談ですが、今まで「1999年に日月神示の言う大峠が来る」「2012年のマヤ暦の終わりに大峠が来る」といった話で解説されてきたサイトは多々あります。
当然、私も人間ですから2020年基準説についてはもしかしたら年を読み誤っている可能性もあります。

七六かしい」というのは「むつかしい(難しい)」「七面倒な」という意味を含めた言葉でしょうが、ここであえて「七六」という数字をあてているのは、この日月神示のはじめの帖が降ろされた1944年+76年=2020年と、現在の我々に向けた神示でもあるぞ、と国常立大神様が語っている、と筆者は判断しています。

この「2020年」というのは神示にある「子の歳」でもあり、前年は2019年で令和元年でもあることから、日月神示的にみて非常に重要な年であるということを頭においておいて下さい。

これを元に、このサイトでは解説を書いていきます。

いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労であ る。

→日月神示には繰り返し「身魂磨きをしなさい」と書いてあります。要するにタマシイが汚れた状態では次の世に入ることはできませんよ、ということですね。
具体的には他人を貶めるような行為をしたり、自分の主義主張を声高にしたり、他人の金品を盗んだり、暴力を働いたり・・・といったおよそ道徳に反するような行為をすると、「業(カルマ)」という隠しステータスがどんどんマイナスになっていくのが、この宇宙の隠された法則のようです。

逆に人に親切にしたり、謙虚に礼儀正しく品性を保ったり、人に施しを与えたりといった道徳的に正しいという行為をすると、このカルマが徐々に解消されていくということになります。

日月神示は全編を通し、この身魂磨きに関する記述が非常に多いのですが、この身魂磨きが終わっている人でないと、大峠と呼ばれる世界的な破滅の危機を乗り越えることはできない、というのです。
身魂磨きは一朝一夕で終わるものではなく、それこそ何十年という期間を経てカルマを解消する必要があります。カルマを解消しきってからでないと、神様のお役にはたてないようです。

このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ、日本はお土があかる、外国はお土がさかる。都の大洗濯、鄙の大洗濯、人のお洗濯。今度は何うもこらへて呉れというところまで、後へひかぬから、その積りでかかって来い

→311の東日本大震災を皮切りに始まった20年間の「建て替え」。建て替えとは筆者岡本天明が属していた宗教団体「大本」の経典にも出てくる語句で、今の乱れた世の中を一度壊してしまい、それから新しい世の中を立て直すという意味になります。

家を立て直すときは一度古い家を壊してしまってから、再び柱を立てて、新しい家を建てる必要がありますからね。

なので今後日月神示を読む上で繰り返し出てくる「建て替え」「立て直し」という語句は、311以前のお金や権力主義の世の中(悪の世という記述で書かれている)を壊してしまい、神様の世である弥勒の世を「立て直す」という形で書かれていますので参考にしてください。

神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る ʘは神の国、神の力でないと何んにも成就せん、人の力で何が出来たか、みな神がさしてゐるのざ、いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯して置いて呉れよ。

→「神懸かり」という状態に、いつでもなれるようにしておけよ、という記述ですが、ここでいう神がかりというのはまるで狂人の真似事をしたり、「我はキリストだぞ」といった偉い人を騙るようなタイプの神がかりとは一線を画します。

本当に神がかった人というのは一般人と見分けがつかないもののようですね。

日月神示を解説していたり、どっぷりとハマっている人にありがちなのですが、自分で独自の神示を「俺には神がかかった!」と言わんばかりに書き記し世に発表してしまっている人も結構居るのですが、残念ながらそういった人たちは本当の神がかりではないのでしょう。

岡本天明伝 P180
役員に神業奉仕のための胆力を付けるためだろう。腹に胆力が据わらないと、神業で受ける霊的な影響に精神が耐えきれず、精神的な不安性(浮霊)を引き起こすからだ。残念ながら、戦後もこの問題で脱線する人間が多かった。

神憑り状態になるには相当なリスクがあるようで、精神的に不安定になりキチガイ地味た状態になってしまった人が多く発生したようだ。

天明氏は信者が増えていくにつれて降霊術を多くの人たちに見せなければならない状態に置かれたようだが、こういったことを真似して悪霊にそそのかされてしまった人が多発したのだろう。

戦は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。加実が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり、口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。六月の十日、ひつくのかみ。

→「戦は今年中」という記述は、この帖が降ろされたのが昭和19年であったからでしょう。

→ 「 てんし様 」という存在については日月神示研究者の中でも意見が分かれており、「天皇陛下だ」とか「いや別の方だ」とよく議論に上がる問題です。
これに関しては非常にデリケートな問題なので当サイトでは触れません。

→ 「口と心と行」を3つ揃えるというのは経験上非常に難しいですね。思っている事をそのまま口に出して行うという行為は、自分の本能のままに行えば「悪い方向に」それを揃えてしまうこともできるわけです。
「アイツくっそ生意気だな~」と声に出しながらその人をいじめれば「悪の 口・心・行」を揃えたことになり、カルマを積んでしまいます。
逆に「あの人を救おう」と口に出しながらその人を救えれば、それは「善 の 口・心・行 」を揃えたことになり、カルマを解消します。

が、多くの場合は「あの人が困ってるけど・・・でも面倒事になるから助けないどこう」といった事になりがちで、その時「口」と「心」は揃っても「行」が伴わなくなる訳ですね。
この「行」まで揃えた人助けをできるようになるには、かなりの訓練が必要になるのは言うまでもないですね。

2帖 19440610土 第二帖 (二)

親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。

→身魂が磨かれてくると「先が見通せるようになる」ということのようです。

「先を見通せる」という能力については、筆者の経験では夢で繰り返し未来のことを見せられたり、瞑想中に未来を予見させるメッセージを見たりします。
「あれ?このシーンって昔夢で見たことがある・・・!?」「あ、次の瞬間起こることがわかる」といったこと(デジャブ)が徐々に多くなっていきます。

また、「虫の知らせ」が多くなり「あ、ここはなんとなく嫌だな」という感覚を肌で感じられて避けられたりします。

神社に行くと神気を強く感じられる場所や、この神社には神様が不在だ、この神社は形ばかりで人の悪い念が渦巻いている場所だ(特に戦国武将を祀っているような場所はこの傾向が強い)といったことを、額のうずきで判断できるようになったりもします。

こういったある種の霊能力は、日月神示の内容を守って霊性を上げていくと、誰でも身についていくもののようです。が、日月神示には「金の 身魂 」「銀の 身魂 」「鉄の 身魂 」・・・とそれぞれの魂の格のようなものが存在するとも記述があり、それぞれの身魂の格によって発現する能力にも差異がありそうですね。

闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳 引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民沢山ある。

→今までの金が中心の世の中は終わり、お金のいらない楽の世の中になるというのが、弥勒の世の姿のようです。お金というものがなくなれば、酒税やたばこ税といった税金は不要になり、お酒やタバコも誰もが勝手に作って使えるような世の中になる、というのがこの記述でしょう。

468 第21巻 ソ୭ 13帖 19470303月 人力屋、酒屋、料理屋、芸妓(げいこ)屋、娼妓(しょうぎ)、無く致すぞ、世つぶす基(もと)ざぞ、菓子、饅頭も要らんぞ、煙草もくせぞ、よき世になったら別の酒、煙草、菓子、饅頭出来るぞ、勝手に造ってよいのざぞ、それ商売にはさせんぞ。

ただ、上の帖では別の酒・タバコ~の下りがあるように、今のような体に有害なタバコやお酒というものは無くなっていく方向のようですね。

新しい世の中では、お金が必要なくなるため、世界的に人体に全く無害のお酒やお菓子・タバコというものの開発が積極的に行われるようになるのではないかと推測しています。

現状では完全に肉食を断つというのは難しい状態ですが、日月神示には「日本人は魚・鳥・獣類の肉は一切口にしてはならない」という記述があることからも、植物性由来の食べ物でそれら肉類の代用品が多く開発されるのではないかと思っています。

早く ʘ(モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト 心になりて呉れよ、神頼むぞよ。盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ、

→「泥海」という記述が初めて出ましたね。この泥海については今まで様々な解釈が有りました。
・地震とそれに伴う土砂崩れ
・地震による液状化現象
・火砕流
しかしこれらに加えて今現在2021年10月時点で発生している海底火山による大量の軽石噴出・漂流がまさしく「泥海」という表現以外で表せない状況なので、泥海というのは世界規模の海底火山活動による大量の軽石漂流・・・なのかな?と思っています。

沖縄に流れ着いた軽石、この後どこへ 「黒潮に乗り…」スパコン解析:朝日新聞デジタル
 小笠原諸島の海底火山・福徳岡ノ場で8月にあった噴火で、10月に入り大量の軽石が沖縄・奄美地方に相次いで漂着している。軽石は、これからどこに向かうのか。漂流する軽石の動きをシミュレーションした海流の専…

めくらがめくらを~の下りは今の日本・世界の政治を表しています。基本的に今国民の上に立っている偉い人達というのは、平時に肉食をしたり、悪口を言ったり、学問学歴主体の人間であるわけですが、これは日月神示の表す「身魂磨き」とは全く真逆の生き方なわけです。

こういった真逆の生き方をしていると、その人の霊性は著しく落ちていき、上で書いた「未来を見通す力」というのは失われていきます。この状態は霊的に見るとまさしく「盲(めくら)」という状態で、神様の声が届かないわけですが、国民もまた盲状態のため「盲が盲を手を引いて~」という事になっているのが、今の日本の状態ということですね。

悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、初めは辛いなれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、

→「悪の楽しみ」というのは、ギャンブルや酒タバコ・女遊びといったいわゆる「博打・娼妓」に表される各種の娯楽ですね。暴力で人を傷つけたり、悪口やいじめで人を悲しませたりして喜ぶ人たちが無数にいる今の世の中のやり方をしている人は地獄に落ちるぞ、という意味を含むのです。今の世の中の楽しみというのはほとんどがこれです。

「神のやり方」というのは音楽や絵画・歌といった創造・芸術方面の楽しみですね。神様は「創造主」でありますから、人間の創造性を非常に尊ばれます。ただし創造をするという行為は始めは難しいんです。絵画では一本の線をうまく書くのだって始めは難しいし、色つけもうまくできず悩むものですが、上達するとどんどんなんでも描けるようになり、楽しくて楽しくて仕方なくなってしまう・・・こういうところに神様の楽しみというのがあるのですね。

「 日の光は神のこころ、稜威ぞ 」。神様のやり方というのは、ただただ日の光のように与えられるものであるということですね。無償の愛とでもいいますか・・・人に対して対価を求めず、人が苦しんでいるのに手を差し伸べる温かいやりかたが「あたえる政治」であり、これからくる弥勒の世のやり方はまさにこのやり方だ、といっている訳です。

盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。

→「泥海」については、日月神示を下ろした神様である国常立大神様は国土の神様であり、地球の神様であられます。
大陸や島の配置を変えることなど、朝飯前だということですね。

日月神示を読みすすめていくと「雨の神」「風の神」「岩の神」「荒れの神」「地震の神」といった様々な神様が国常立大神様をお手伝いされており、今回始まった大峠ではこれら神々様と連動して、日本の国土拡張と、外国の国土縮小をされるとのことです。

特に神様は「五代州ひっくり返っているのが一番気に食わない」と書かれていることからも、今のアメリカ・オーストラリア・といった5つの大陸は、これからドロ海の底に沈んでいくことになります。

冬の先が春とは限らんぞ。 日本の国を八つに切って殺す悪の計画、ʘの国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。六月の十日、書は、ひつくの神。てんめ御苦労ぞ。

→これら国常立大神様がご計画されている地球改造計画については、金や富でこの世を支配しようとしている闇の勢力も知っているのです。

なので「日本」と「日本人」という国常立大神様の直接息のかかっている民族を人質にして「こいつらを殺してしまってもいいのか?嫌なら今のままお金の世の中を続けさせろ」と国常立大神様を脅している、というのが今の日本の置かれた状態の訳です。

第二次世界大戦で彼ら悪の勢力の想定以上に日本の軍部が抵抗したため、日本が壊滅されるすんでのところで回避されました。が、戦後70年が経過したと言っても彼らの目的は「日本人抹殺」および「日本国土の確保」です。日本というのは世界の雛形であり、日本を手に入れれば世界を手中にいれられると、彼らも分かっているのです。

そのため、非常に家族間の結束力が強かった昭和時代の日本の家庭を核家族化し、女性は淫らに狂わせ家庭を顧みぬようにし、離婚をした方が女性にとって得になるような法を敷きました。
また男性はアダルトな画像や動画がどこでも見れるようにし、種抜きにして 女性を嫌悪するように 仕向けたわけです。
こうすれば日本民族は自然と減っていきますし、再び戦争をするという状態になった時に、戦場に立って戦える日本の男はほとんど居なくなるわけです。

家庭を持てなかった日本男子は、乱れた女性を守る事に義務感を感じないですし、子を持てなかった男は日本の未来についても関心を失いますからね。

→「ʘの国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。 」というのは ʘ は日本の事です。
外国というのは台湾の事だと筆者は捉えていますが、キルギス人のように日本人と非常にそっくりな民族もおり、それらも含めていると推測しています。

台湾を日本に含めるという考え方は、岡本天明氏が元々所属していた大本という宗教団体の考えですね。
「日本は世界の雛形」であり、「大本で起きたことは日本に起き、日本に起きたことは世界で起きる」という雛形論が興味深いです。
その雛形である「日本」に「台湾」が含まれているんですね。

日月神示にはいわゆる「日ユ同祖論」が真実である、という記述もあり、12部族のうちの何種族かが日本人にルーツがあるということのようです。

ちなみに日本の雛形は沖縄と言われています。二次大戦で沖縄が焦土になり、その後日本が焦土に変わり果てました。
そして今、沖縄の各地に軽石が到達しまさに「泥海」の状態が始まりました。
この沖縄に起きたことは日本に起き、そして世界へ・・・・。

3帖 19440611日 第三帖 (三)

善言(よごと)は神、なにも上下、下ひっくり返ってゐるから、分らんから、神の心になれば何事も分るから、鏡を掃除して呉れよ。今にこのおつげが一二三(ヒフミ)ばかりになるから、それまでに身魂をみがいて置かんと、身魂の曇った人には何ともよめんから、早く神こころに返りて居りて呉れ、何も一度に出て来る。海が陸になり陸が海になる。六月十一日の朝のお告げ、みよみよみよひつくの神。

→言葉というのは「神が良いことを言うために人間に与えた」ものであって、悪口を言うために与えたものではないとのことですね。

→日月神示は元々カナ・記号まじりの記述で書かれていたのですが、これが徐々にカナ文字も減っていき、一・二・三といった数字での記述がメインになっていった訳です。
これを日本語で誰でも読めるように解読したのが現在市販されている日月神示だったわけですね。
原文は誰もが読めるわけではなく、それ相応の徳を積んだ霊能力者にしかその解読はできなかったとされます。

4帖 19440613火 第四帖 (四)

急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす。神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ眼覚めぬか、金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。早く神祀りて呉れよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。神をだしにして、今の上の人がゐるから、神の力出ないのぞ。

→お金の世とはまさに現在の状況を表しています。大本では「竹松梅の時代」という考え方があり、第二次大戦以前までは「竹(武)の時代」として軍・戦争が支配する世の中であったと言います。松の時代は商売・金銭の時代であり大戦後~令和まではお金やモノが支配する世の中であった。

そして令和となり神世の始まりの年があけて「梅」の時代と相成ったわけです。梅の時代は叡智や知識・教育の時代と言われており、youtubeで様々なノウハウが無料で公開され始めていることも考えると、やはり知識の共有が今後の人類の課題なのかなぁと最近感じています。

お上に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。この神をまつるのは、みはらし台ぞ、富士みはらし台ぞ、早く祀りてみつげを世に広めて呉れよ。早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、早う祀りて神の申す様にして呉れ。神急けるよ。上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、上下揃ふたよき世が神の世ぞ。

→日月神示には繰り返し「富士」というキーワードが出てきますね。当然富士山を考えるのですが、薩摩富士とか、東北の富士とか、富士にも色々とあるわけですので、日月神示にある富士というキーワードについては富士山に限定しないように考えていかなければならないです。

卍も一十もあてにならぬ、世界中一つになりて 日本の国に寄せて来るぞ。それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか、

→卍(ドイツ)も一十(イタリア)もあてにならぬ、というのはこの神示が昭和19年でドイツ・イタリアが同盟国だった=同盟国も当てにならないような状況で、世界中の国々が日本を盗ろうと押し寄せてくるぞ、という意味ですね。

実際、第二次大戦末期ともなれば北はロシア・中国、南はアメリカと軍隊が押し寄せて、日本の国が丸つぶれ寸前になりました(なんで止まったんだろう?と不思議に思うほどです)

ただ、大本には「同じことが二回起きる」といわれているため、第二次大戦で起きたような悲劇が再び繰り返されるとあります。その二度目がこれから起きてくると言われていますね。

第11巻 松 7帖 19450623土 第七帖 (二九八)偉い人 皆 俘虜(とりこ)となるぞ。夜明け近くなったぞ。夜明けたら何もかもはっきりするぞ。夜明け前は闇より暗いぞ、慌てるでないぞ。神の国一度負けた様になって、終ひには勝ち、また負けた様になって勝つのざぞ

上の帖にあるように、
1一度負けたようになって=第二次世界大戦
2終いには勝ち=大戦後の驚異的な復興
3またまた負けた様になって=30年続く不況からの大震災、世界各国からの侵略
4勝つのだぞ=神力発動、どんでん返し

というながれになります。今は3と4の間ですね。

分らねば神にたづねて政事(まつりごと)せねばならぬと云ふことまだ分らぬか。神と人とが交流(まつり)合はしてこの世のことが、さしてあるのぞ。人がきかねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのざ、いつ何んなことあっても知らんぞ、神祭第一、神祭結構。

→日月神示の究極的な目的の一つに「神と人とが完全に和合した状態の人を作る(神人合一)」ことがあります。私もその境地にはまだ至ってはおりませんが、菜食を進め日々の礼拝や瞑想を通して神様の心に触れたり、神社を巡って神気を頂いたり・・・といったことを繰り返していると、直感力が徐々に上がっていきます。

その直感は「この場所は避けよう」とか「いま悪いことが起きたのはこういう意味だな」といったふうに、普段の何気ないトラブルからその神意を知ることができるようになるんです。

この状態に至るには自身が過去に積んでしまったカルマを解消しなければならない。カルマ所以のトラブルが起きる状態だと、神様からの注意なのかカルマ所以のトラブルなのか判断がつきにくいのです。

なので日月神示には繰り返し「身魂磨きせよ」と書かれているんですね。

107 第3巻 普字 27帖 19440830水 第二十七帖 (一〇七)神の堪忍袋 切れるぞよ、臣民の思ふやうにやれるなら、やりて見よれ、九分九厘でグレンと引繰り返ると申してあるが、これからはその場で引繰り返る様になるぞ。

身魂が磨かれてくると、なにか悪いこと(悪の口心行)を起こすと、すぐに「それは間違っているよ」と神様から指摘されるような出来事が生じます。
例えば「あの人困ってるけど今忙しいし助けるのはやめておくか」といったことをすると、その直後にタンスの角で足の小指を打ってしまうというトラブルが生じて気付かされる訳です。

こういった普段から神様の注意を受けられる状態になると、神様の言わんとしていることがわかるようになってきます。この状態が第一段階で、このことをよく理解し神様の注意を十分理解できる状態になった後、第二段階として神様からの司令を受けられるようになるようです。神様と自分との信頼関係が構築された状態ですね。

その状態になれた人は瞑想や夢を通して「神にたずねて」ということができるようになるんです。

ただしこの「神にたずねる」というのは実はかなり危険な行為で、よほど自身の身魂が磨かれていないと「俺は神の声が聞こえる!だから俺様の声を聞かなければならない!」といった具合に 悪霊に騙されてしまうわけです。

昨今、日月神示の続編だとかいったものが世間で出回っているのも、この手の悪霊や低級霊の声に騙されてしまったのでしょう。昔からよくある話なのですが・・・そもそも高級霊は人間の言葉で直接語りかけてくる事はほぼなく、瞑想中に愛と光がただただ額に射し込んでくるような状態です。神様の与えっぱなしの愛をただただ感じ、その後は神意に基づいて自然と体が動いてしまうという状態になります。

人間の言葉で「あれをやれ」といった声で語りかけてくるものの殆どは低級霊ですので、十分サニワしましょう。

二三の木ノ花咲耶姫の神様を祀りて呉れよ。コハナサクヤ姫様も祀りて呉れよ。六月十三の日、ひつくのか三。

→コハナサクヤ姫様・木ノ花咲耶姫様は神話では邇邇芸命(ニニギノミコト)のお嫁さんですね。イワナガヒメの神様とセットなら結婚OKだよって 木ノ花咲耶姫の父にOK出してもらったものの、 木ノ花咲耶姫様だけ連れていってしまったので父の大山津見神様は激怒。
イワナガヒメの神様は永遠の命を司る神様だったため、以降の人類の寿命は極端に短くなってしまいました。

古事記』では本名を神阿多都比売(かむあたつひめ)、別名を木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)、『日本書紀』では本名を神吾田津姫(かみあたつひめ)、神吾田鹿葦津姫(かむあたかあしつひめ)、別名を木花開耶姫(このはなのさくやびめ)、『播磨国風土記』では許乃波奈佐久夜比売命(このはなのさくやびめ)と表記する。読みはコノハナノサクヤビメコノハナサクヤビメコノハナサクヤヒメ、または単にサクヤビメと呼ばれることもある。木花咲弥姫命(このはさくやひめのみこと)と表記することもある。

神話では、日向に降臨した天照大御神の孫・邇邇芸命と、笠沙の岬で出逢い求婚される。父の大山津見神はそれを喜んで、姉の石長比売と共に差し出したが、邇邇芸命は醜い石長比売を送り返し、美しい木花之佐久夜毘売とだけ結婚した。大山津見神はこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのは石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇芸命)の命は岩のように永遠のものとなり、木花之佐久夜毘売を妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。木花之佐久夜毘売だけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げた。それでその子孫の天皇の寿命も神々ほどは長くないのである(天孫降臨を参照)。

木花之佐久夜毘売は一夜で身篭るが、邇邇芸命は国津神の子ではないかと疑った。疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り、「天津神である邇邇芸命の本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放ってその中で火照命(もしくは火明命)・火須勢理命火遠理命の三柱の子を産んだ(火中出産を参照)。火遠理命の孫が初代天皇の神武天皇である。

『播磨国風土記』では伊和大神(大国主神)の妻とされる。

5帖 19440614水 第五帖 (五)

富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士(二二)といふのぞ

→富士にも色々あるわけです。富士山だけではなく、いわゆる地方富士と言われる山々はみんな神様の山だ、ということですね。

日本全国の【郷土富士23選】羊蹄山や開聞岳など各地のご当地富士山をご紹介! |じゃらんニュース
日本各地には「〇〇富士」と呼ばれ親しまれる「郷土富士」がたくさんあります。北海道の羊蹄山【蝦夷富士】や群馬県の榛名山【榛名富士】、鳥取県の大山【伯耆富士】など、全国のご当地富士山の情報をご紹介。本家の富士山にそっくりな山もありますよ!あなたはいくつ知っていますか?

津軽富士/岩木山【青森県】
南部片富士/岩手山【岩手県】
出羽富士/鳥海山【山形県】
吾妻小富士【福島県】
会津富士/磐梯山【福島県】
榛名富士/榛名山【群馬県】
八丈富士【東京都】
信濃富士/黒姫山【長野県】
能登富士/高爪山【石川県】
若狭富士/青葉山【福井県】
近江富士/三上山【滋賀県】
大和富士/額井岳【奈良県】
伯耆富士/大山【鳥取県】
浅利富士/室神山【島根県】
安芸小富士/似島【広島県】
讃岐富士/飯野山【香川県】
糸島富士/可也山【福岡県】
伊万里富士/腰岳【佐賀県】
佐世保富士/烏帽子岳【長崎県】
玖珠富士/涌蓋山【大分県】
薩摩富士/開聞岳【鹿児島県】

じゃらんに掲載された以外にも、富士はたくさんありそうです。日月神示にゆかりの強いのは 榛名山(榛名富士) ですね。

見晴らし台とは身を張らすとこぞ、身を張らすとは、身のなかを神にて張ることぞ。臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。

→修行が進んでくると、神様の気を体に満たすことができるようになってきます。瞑想により神様の愛に触れ、そのありがたい無償の愛を額より受け、体全体に満たす訳です。
直接神様の気を頂く方法は他にも有り、神様がおられる神社へと赴き祈ることで、神様から直接気をいただくこともあります。この時、神託を受けることもあります。

この状態は常時維持できるものではなく、普段の雑多な生活の中で徐々に身に満たされた神気は薄れていき、気づくと通常の状態へと戻っているものです。この「神気が体に常時満たされる状態」となれるよう努力するのが身魂磨きの目的でありますが、これは大変に難しいものです。

平時から悪口・陰口は決して言わず、心には悪を持たず愛と善を常に満たし、善行を行うようにする。肉食を絶ち生き物に対する慈愛の心を持つようにする、平時から瞑想を習慣とし、定期的に神社やパワースポットを訪れて神気を補充する・・・。
言葉にすれば3行程度のものではありますが、これがどれほど難しいことか、日月神示を読み進め日々修行されている方ならば、ご理解いただけると思います。

大庭の富士を探して見よ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ。富士を開くとは心に神を満たすことぞ。ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使ひぞ。ひむかは神の使ひざから、九の道を早う開ひて呉れよ、早う伝へて呉れよ、ひむかのお役は人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ、この理をよく心得て間違ひないやうに伝へて呉れよ。六月十四日、ひつくのか三。

→神の米というのは土米のことですね。大本でも土米が出た場所を神域として取り扱っている事があるようです。

天明の奉職していた千駄ケ谷の鳩森八幡神社には江戸時代の富士講が造った都内に現存する最古の富士塚があった。富士塚から「御土米」が出ると神示があったので、半信半疑で天明が富士塚を探してみると、本当に土の中から御土米が出た。
(岡本天明伝 p160 )

「奥山」奉斎時の暴風雨は、神からの第二の証明であり、御土米が出たことに次ぎ、神の御稜威の現れだった
(岡本天明伝 p181)

6帖 19440617土 第六帖 (六)

外国の飛行機が来るとさわいでゐるが、まだまだ花道ぞ、九、十となりたらボツボツはっきりするぞ。臣民は目のさきばかりより見えんから、可哀さうなから気をつけてゐるのに何してゐるのか。大切なことを忘れてゐるのに気がつかんか。この知らせをよく読みて呉れよ。十月まで待て。それまでは、このままで居れよ。六月十七日。ひつくのか三。

→この神示が降ろされたのは1944年の6月。日本本土が爆撃されるという噂が飛び交っていた時期なのでしょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E7%A9%BA%E8%A5%B2#1944%E5%B9%B4

wikiの日本本土空襲の欄を見ると、「八幡空襲」が1944年6月15日に行われている。本格的な日本本土空襲の始まりだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A9%BA%E8%A5%B2

9月、10月ともなると沖縄は本格的な空襲を受け始める。

https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4725

1944年9月・10月頃になると沖縄は爆撃で破滅的な状況になり、本土に住んでいた天明達にも「この戦いは負けるのではないか」という噂が耳に入っていた頃だろう。

この帖に関して注意すべきは、「沖縄は日本の形」だということだ。その後、沖縄は全面的に焦土と化し、米軍上陸に伴い地獄のような状況に陥った。
そしてその「日本の雛形」としての影響がすぐ日本全土へと波及し、日本本土の主要都市も爆撃により焦土と化していく・・・・。

問題は、「日本全土が焦土と化したという形が世界に波及していない」という点。
もう一つの問題は「同じこと二度繰り返す」という日月神示にある記述だ。

第22巻 ソ୭ 7帖 19470802土
何彼の事ひふみ、いろはでやり変へるのぢゃ、時節めぐりて上も下も花咲くのぢゃぞ。誰によらず改心せなならんぞ、この方さへ改心致したおかげで今度の御働き出来るのぢゃ、同じこと二度くり返す仕組ざぞ、この事よく腹に入れておいて下されよ。同じこと二度、この神示 神と仏のふで。八月二日、一二ʘ。

→ということは、日本は第二次世界大戦で滅亡寸前まで行った状態が、再び起きるということだ。既に世界的に見れば日本の賃金は下降傾向にあり、製造業も軒並みアウト、自動車産業もEVの台頭により日本の製造業大国としての地位は既に落ち目にあることも事実だ。

ただ、ここでいう「二度」目は、そんな国力の低下程度のことではなく、第二次大戦で日本全土が焦土になったような破滅的な状況が繰り返される、ということになる。

第11巻 松 7帖 19450623土 第七帖 (二九八)
偉い人 皆 俘虜(とりこ)となるぞ。夜明け近くなったぞ。夜明けたら何もかもはっきりするぞ。夜明け前は闇より暗いぞ、慌てるでないぞ。神の国一度負けた様になって、終ひには勝ち、また負けた様になって勝つのざぞ。腹の中のゴモク一度に引張り出してもならぬし、出さねば間に合わんし、いよいよ荒事にかかるから そのつもりで覚悟よいか。わからん人民 退いて邪魔せずに見物してござれよ。六月二十三日、アメのひつ九のʘ。

上の帖である「また負けた様になって勝つのざぞ」の部分がまだ現れていない、ということだ。

第15巻 一八 9帖 19460216土 第九帖 (三七四)
今度 捕へられる人民 沢山にあるが、今度こそはひどいのざぞ。牢獄で自殺するものも出来て来るぞ。女、子供の辛いことになるぞ。九分通りは一度出て来るぞ、それまでに一度盛り返すぞ、わからんことになったら愈々のことになるのざぞ。みたま磨けよ。旧一月十五日、一二ʘ。

これから起きるとされる光景は、上の帖に書かれている。注目すべきはこの神示が降ろされた年で「1946年」であるから、戦争後の日本に向けた預言である。
1億2500万人の日本の人口が3500万人程にまで減るとされているが、その光景はこのような地獄のような光景になるのだろう。

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