日月神示と時節

2021/10/26 千引の岩戸と泥海と日月神示

日月神示と時節

いわゆる「岩戸開き」というのがいつ、どのような形で行われるのかは分かりませんが、どうやらもうその時期が間近に迫っているであろうことは、日月神示やその他の預言などを見ていれば、おおよそ分かるものです。

筆者としても色々と思うところがあり、先日御嶽山の御嶽神社へとご参拝してまいりました。
元々、私は山の神様をお祭りする家系で、先祖が石板に掘った山の神様の祠を家の辺りにお祭りしていました。

うちの爺さんは山で遭難した時に天からの声を頼りに麓にたどり着いて九死に一生を得たとか。
戦争から帰ってきて家も無く途方に暮れていたところ、地元の公民館を一時的に使わせてもらえることになり、山の神様の石碑をお祭りする立場に。
一族代々、山の神様と縁があるようです。

御嶽神社にもたくさんの石板があり、祖父の実家の家の山の神様のものと酷似していたため、びっくりしました。祠の前で、幼少期から頭に聞こえていた女性の声を、久しぶりに聞きました。10年ぶりくらいでしょうか?

調べたら山の神様って女性なんですね・・・自分がまったく女性と縁がなかったのも、因縁なのかなと思います。

御嶽神社では日本人民の繁栄と、この度の岩戸開きの御神業で一人でも多くの人が神の道に立ち返り、改心し、この岩戸開きを乗り越えられるよう、ご守護をお願いして参りました。

103 第3巻 普字 23帖 “1944 0830水” 第二十三帖 (一〇三)
世界は一つになったぞ、一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。臣民にはまだ分るまいなれど、今に分りて来るぞ、くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、学と神の力との大戦ぞ、神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。今あらはすと、助かる臣民 殆んどないから、神は待てるだけ待ちてゐるのぞ、臣民もかあいいが、元をつぶすことならんから、いよいよとなりたら、何んなことありても、ここまでしらしてあるのざから、神に手落ちあるまいがな。いよいよとなれば、分っていることなれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよく分ってゐるぞ。因縁のみたまにはよく分るぞ、この神示読めばみたまの因縁よく分るのぞ、神の御用する身魂は選(よ)りぬいて引張りて居るぞ、おそし早しはあるなれど、いづれは何うしても、逃げてもイヤでも御用さすようになりて居るのぞ。北に気つけよ、東も西も南も何うする積りか、神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ、神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、早う身魂みがけと申すことも、悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう。八月三十日、ʘの一二か三。

これから、日本に向けて世界の国々の軍隊が攻め寄せてくるようです。もう、その兆候は見えていますよね?準備しなくて良いんですか?

エラー|NHK NEWS WEB

この段階で既に私ができることは「これから岩戸開きがくるよ」と人々に警告する事だけですが、日月神示にも「今は誰も耳をかさない」とあるように、このサイトを訪れる人もまばらでしょう。
元々、覚悟していたことですが。

イザナギ・イザナミの産屋の話

https://jinjajin.jp/modules/contents/index.php?content_id=159

いざなぎ、いざなみの2柱の神様は、夫婦喧嘩してしまい岩戸の前で「1000人殺すわ」「1500人生むわ」と言い合ったわけです。500人増えていきますね!

日本の人口は(戦争時を除いて)基本的に上昇傾向にあったわけですね。けれども、どうやら2011年の311東日本大震災のおきた頃より、日本の人口が減少に転じた。

日本人口が減り始めたのは、奇しくも東日本大震災のあった2011年頃!

これはナギナミが岩戸を間にして語り合った神話での契約が終了したことを意味しているため、既に岩戸が開かれつつあることを意味しています。
あの「311東日本大震災」こそ、岩戸開きの始まりであったのでしょう。

213 第6巻 日月 月 40帖 “1944 1130木” 第四十帖 (二一三)
ここに伊邪那美の命 語らひつらく、あれみましとつくれる国、末だつくりおへねど、時まちてつくるへに、よいよ待ちてよと宣り給ひき
~中略~
ここに伊邪那美命 息吹き給ひて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)へて、その石なかにして合ひ向ひ立たして つつしみ申し給ひつらく、うつくしき吾が那勢命(なせのみこと)、時廻り来る時あれば、この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、ここに伊邪那岐命しかよけむと宣り給ひき。ここに妹(いも)伊邪那美の命、汝(みまし)の国の人草、日にちひと死(まけ)と申し給ひき。伊邪那岐命 宣り給はく、吾は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)生まなむと申し給ひき。

→まだ作り終えていない国を、時が廻り来たら再び共に作ろう、というのがイザナギ・イザナミの神様の「誓い」であったんです。その時が、いよいよ、来たわけですね。

215 第7巻 日出 2帖 “1944 1202土” 第二帖(二一五)
九歳(とし)は神界の紀(もと)の年ぞ、神始めの年と申せよ。一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)ぞ、五の歳は子の歳ざぞよ。取違ひせん様にせよ。月日の巻 十人と十人の役員に見せてやりて呉れよ、時節到来したのであるぞ。桜咲き神の御国は明けそめにけり。十二月二日、ひつ九のか三しらす。

そしてその直後の帖で、「九歳は神界の紀の年ぞ、神始めの年と申せよ」と書いてあります。
これは2019年で「令和元年」を表すとされていますね。

五(六七)(コロナ)の歳は「(2020年の干支の)子の歳」ざぞよ。取り違いせんようにせよ」と書いてある訳です。

こんなこと、2021年にならなければ、誰も読み解けなかった。ぐぬぬ。

→日月神示には一番目のナギナミのときの岩戸開きについてはこう記載があります。

5回の岩戸閉め

第一帖 (二一四)  春とならば萌(もえ)出づるのざぞ、草木許りでないぞ、何もかも もえ出づるのぞ、此の方の申す事 譬(たとへ)でないと申してあろが、少しは会得(わか)りたか。石もの云ふ時来たぞ、此の道 早く知らして呉れよ、岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時と、大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。愈々きびしく成ってきたが此れからが正念場ざぞ、否でも応でも裸にならなならんぞ、裸程結構なもの無い事 始めて会得(わか)りて来るぞ。十二月一日、一二 。

岩戸閉め(5回)
1 回目:那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊
→ 千人喰ひ殺す 千五百の産屋(うぶや)を建てる 。黄泉の国との交流が途絶えた。

五2 碧玉 10帖 19610506土 第十帖  
岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。

2 回目 :天照大神
→騙して無理やり引きずり出した。しかし出てきた天照大神様は実は別の神。

次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。

3回目 :須佐之男神様に罪着せし時

次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。

4 回目 :神武天皇

神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。

5 回目 :仏来た時

仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。

岩戸閉めには上に書いた5回の岩戸閉めがあった、と日月神示には書いてありますね。この岩戸閉めがどのような形で開かれていくのか、それは私にもさっぱり分かりませんが、

1回目のナギナミの岩戸が、徐々に開かれつつあるという状態が、今のようですね。

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いざなぎ・いざなみの2柱は元々島生みの神です。天の沼矛で海面をかき混ぜ島生みをしていくわけですが、昨今沖縄付近で海底火山が噴火を繰り返しており、大量の軽石が流れ着いているのが印象的ですね。

上つ 2帖 “1944 0610土” 第二帖 (二)
人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあ るに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。冬の先が春とは限らんぞ。 の国を八つに切って殺す悪の計画、 ʘの国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。

とてつもない規模の海底火山が噴火し、島が出現。それにともない巨大な地震と津波が日本全土を襲う・・・というたつき諒先生の私が見た未来の予想と一致してくるような気もします。

沖縄周辺のビーチが、軽石により埋め尽くされた。
「どこもかしこも泥海じゃ」という日月神示の、いよいよのことが、始まったのだ。

226 第7巻 日出 13帖 “1944
1214木” 第十三帖 (二二六)
神の経綸(しぐみ)には狂ひ無いなれど、臣民 愈々苦しまなならんのざぞ、泥海に臣民のたうち廻らなならんのざぞ、神も泥海にのたうつのざぞ、甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労甲斐あるなれど、泥海のたうちは臣民には堪(こば)られんから早う掃除して神の申す事真すぐに肚に入れて呉れよ。

第1巻 上つ 2帖 “19440610土” 第二帖 (二)
早く ʘ(モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト 心になりて呉れよ、神頼むぞよ。盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ、

日月神示にある「泥海」というのが一体どういった状態なのか、正直私にはよくわからなかった。
けれども島生みの神であるイザナギ・イザナミが再び出会うという事は、大きな海底火山活動が生じ、大量の軽石が世界各地の海を埋め尽くすような出来事が生じるのではないか・・・という結論に至った。

ここで、たつき諒先生の「私が見た未来」での2025年の預言につながってくる。

大峠はいつくるの?

筆者は前のページでも書いたように、大峠の本番は2025年頃からかなと思っています。まぁ私の勝手な予測ですが(笑)

たつき諒先生の預言では2025年頃にフィリピン~沖縄付近の海で突如大きな島が出現するような地殻変動が発生、それに伴い凄まじい津波が世界各国を遅い未曾有の大惨事が起きるとあります。
日月神示には「どこもかしこも泥海じゃ」という記載があることからも、大量に発生した軽石と超巨大津波により世界は文字通り「泥海」に変わってしまうのではないか・・・と予測されます。

暗黒の三日間

そして、大峠の際はいわゆる「暗黒の三日間」が来るとされています。

暗黒の三日間 - J.M.J.コミュニティー 大警告に向けて
(富士山爆発、大警告(The Warning)、主イエズス・キリストの再臨 (The Second Coming)、平和の統治(New Era)に関する天のメッセージを紹介。そのための準備を人々に促す。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1073847985

暗黒の三日間は、島生みの神であるイザナギ・イザナミが再び出会うタイミング=島が新たに現れるタイミングで起きるのではないかと予測しています。
世界が暗黒に包まれるということは、単純に考えれば超巨大火山の噴火により噴煙が成層圏に達し、太陽の光が完全に遮られてしまうような状態が起きるのかと思います。

ただ、元々黄泉の国の神であるイザナミと現実界の神であるイザナギが再び出会う=2つの世界がつながるということなので、物事はそう単純な状態ではなさそうです。
おそらくは、人智を遥かに超えたような出来事が、同時多発的に起きるのではないかと推測されます。

筆者の夢

筆者はたつき諒先生のようによくデジャブ・予知夢を見る体質で、「あれこの場所昔来たことある」とか「あ、これは夢で見たシーンじゃないか」ということが何度も有りました。

●筆者の幼少期にみた夢

幼少の頃(小学校4年頃)何度も見た夢です。
部屋の中で寝ていると、外が異様に暗いことに気づきます。その暗さは昼間なのに空が漆黒に塗りつぶされているような状態。闇より暗い。空はところどこで稲妻・轟音がとどろき、遠方の空を見ると二匹の龍が稲妻状になり舞っていました。
空には文字が浮かんでいました。

夜明け前は闇より暗い

あの夢がなんだったのか当時は全く分かりませんでしたが、今ははっきりと「岩戸開きの時の映像を予め神様に見せられていた」と確信しています。

この岩戸開きのときというのは、いざなぎ・いざなみの2柱の神様が黄泉と現界という垣根を超えて出会う時であるため、黄泉の住人たちが現界へと流れ込んでくるのかもしれませんね。
だから外を見てはならない・・・と。

ただ筆者は夢の中で「ついにきた!」と喜び勇んで二階の窓から飛び出し空に駆け上がっていきましたが(笑)

どんな準備をすればいいのか

おそらく2025年に大災害を伴った大津波、そして2026年6月6日に暗黒の三日間・・・なんてね(笑)まぁ、日付については冗談としても、その頃に東南海大地震なんかは来るのではないかと予想してます。

沿岸地には近づかない

大津波が予想されています。津波の規模は東日本大震災の比ではなく、東南海大地震で予想されている津波を遥かに超えた規模で、内陸地まで津波が押し寄せると想定しています。

筆者が幼少期に見た夢で、大きな白いカラス(八咫烏?)の上に 乗った自分が、都心部の上空を飛んでおり、大都市の人々に対して「はやく逃げろ!そこから!早く!」と叫んでいました。
道路には車が渋滞を作っており、歩く人はまばらでした。
これからくる恐ろしい出来事を感じ、ふと空を眺めると、富士山がすごい形相でこちらを睨んできました。

この夢も幼少期に何故か繰り返し繰り返し見せられたもので、とにかく怖くて怖くて起きた時いつも泣いていました。おそらくこれは超大津波が都市部を襲う直前の映像を、神様より見せられていたものと思います。

浸水60m想定地図
http://flood.firetree.net/

今回日本を襲う致命的な津波は、今までの規模のものとは比較にならないと予想しています。なぜならば日月神示には「日本の人民は3分の1になる」と記載があるため。8000万人もの人が無くなる大災害は津波・大地震にほかならないため、今回起きる大津波は筆舌にし難い規模であろうとこは予想できますね。

上の浸水マップを見て、自分たちがどのレベルの津波にまで耐えられる場所にいるかは確認しておきましょう。

ローソクの準備を

暗黒の3日間は、まぁ一応2026年6月6日に日程を置いておくとして(笑)
その頃には真っ暗闇のなかで唯一の光源として使えるローソクを購入しておきましょう。

「すべての人工的光源は使えなくなる」という記載からも、電子機器がすべて使えなくなるような、現代の科学では全く考えられないような事態が生じる。

第1巻 上つ 9帖 “19440617土” 第九帖 (九)
この世のやり方、わからなくなったら、この神示録(しるし)をよまして呉れと云うて、この知らせを取り合ふから、その時になりて慌てん様にして呉れよ。日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。その時にお蔭を落さぬやう、シッカリと神の申すこと腹に入れて置いて呉れよ。六月の十七日、ひつくのか三。

日月神示に繰り返し「印刷された日月神示を手元に置いておけよ」と書いてあるのも、使えるのは実物の本のみ、という状態になるのでしょう。
だってスマホやインターネットで見れる神示をわざわざ神様が「この神示録を取り合う」なんて状況になるわけないもんね。

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